ひとりひとりの夜がきて

自伝からはじまる70章―大切なことはすべて酒場から学んだ (詩の森文庫 (101))


久しぶりに、ひとりの朝。
なんとか起き出して、トーストをかじる。
お弁当までは、とても届かなかった。まぁ、いい。


昨日、次に読む一冊を選んでいて、
まもなく買い求めるであろう『いちべついらい』への助走として、
こんなものがあったと鞄に入れた。この本を買ったときは、
よもやこれが『いちべついらい』という書物への、
助走として読まれる日が来るなぞと想像できず。


あたりまえだ。橋口幸子も知らず、北村太郎も知らず、
田村和子も知らず、田村隆一もただ漢字の並びを知っていたにすぎず。
たぶんまだ、夏葉社も存在しなかったのではなかったか。


車中のとも。
田村隆一自伝からはじまる70章―大切なことはすべて酒場から学んだ (詩の森文庫 (101))』(思潮社

月刊「荒地」の創刊同人、木原孝一、黒田三郎、中桐雅夫、鮎川信夫、この秋、北村太郎もこの世を去った。(p.38)


黒田三郎も出てきた。これまた、夏葉社である。
いや、これまでにも、一度か二度か、読んでいた本に登場したはずだ。
そう、魚雷さんの本にも出てきていた。けれども、知らなければ、
通り過ぎる。覚えていなければ、目に留まらない。今回は、ただ、
島田さんによって巧妙にぼくの記憶が組み立てられたので、
あ、こっちにも、こっちにも、「荒地」の人?
ってな具合に、気がつくことができたのだ。


地上に出たときに、「××さは滅びの姿であろうか」というのが頭に浮かぶ。
どうしても、「貧しさ」ばかりが挙手をするので、えぇい、黙れ愚か者!
と、ガラクタケータイのグーグルで「太宰治 ホロビノスガタデアロウカ」と検索。
えぇ、太宰治の小説に出てくるフレーズなんだ、ってことまでは、えぇ。
したらば、「アカルサハ」らしいことが判明。「らしい」というのは、
「アカルイノハ」という表記も検索一覧に出てきたからだ。
うちに帰って文庫を確認しよう。「右大臣実朝」は、
なにに収録されているのだっけ。


お金を払わずに本を持っていく人や、
お金を払わずに持っていかれたかもしれない本のことで、
とてつもなく疲れて退勤。こういう作業をしていると、いろんな優先順位がかき消えて、
(まぁ、いいわけなんだけれども)ただひたすらに防犯カメラの映像を網膜に注ぎ込むはめになる。


昨日入荷して買わなかったあれを、今日は買おうか。
かばんのなかには、助走のあれしか入っていないし。


購入。
橋口幸子『いちべついらい 田村和子さんのこと』(夏葉社)


電車に乗り込み、ふだんであればその日の業務日誌的なメモを始めるのだが、
今日はとてもくたびれていたので、買ったばかりの本にすがるように読みだす。
乗換え駅に着いたところで、少し、意識がすっきりしているように思えた。
次の電車で業務メモを始末してから、近鉄線のなかで、再びページに沈む。


読了。
橋口幸子『いちべついらい 田村和子さんのこと』(夏葉社)


そんなに早く読んでしまうなんて、もったいない!
と言わないでもらいたい。のどがかわいているときに、
コップ一杯の冷たい水を差しだされたら、どうして一口だけで、
止められようか。それほどまでにかわいていたと、思ってください。


それにしても、この本を読んだあとでは、先ほどの、
なんともやるせない気持ちなど、取るに足りないもののように思える。
橋口さんの、和子さんの、田村隆一の、北村太郎の、人生。
それらに比べて、わたしの人生の、穏やかでささやかな、
幸不幸。


穏やかで、ささやかな、幸不幸。


「スケッチ」と呼ぶにふさわしいあっさりした描写の奥に潜んでいる物語を、
詳しく知りたいような、この素描こそが最善の形のような、ああ人生。

わたしは和子さんとの思い出が薄れてしまわないうちに、和子さんとのことを書いておきたかった。(p.153)


「ひと」を語るのは、難しい。いや、そうではない。いかようにも、
語り得る。正解、はない。ただ、語るのみだ。橋口さんには橋口さんにとっての、
和子さんがいて。それが『いちべついらい』という本になって、それはひとつの、
「橋口さんにとっての和子さん」である。そしてきっとまた、そこから零れ落ちた、
「橋口さんにとっての和子さん」も別にいるはずだ。エクレアを食べ終えたあと、
口の周りに残ったチョコレートもまた、エクレアの一部であるように。


・・・なにか、うまいこと言ったような気分になりましたが、
明らかに、意味不明、支離滅裂であります。


パンが大量にあるので、目玉焼きをトーストにのせて食べた。
あしたからまた、妻子と過ごす時間が始まる。その前にひとり、
静かな夜に乾杯することにしよう。その前に、太宰治の文庫を、
確認してまいります。


「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ」(p.18、太宰治『惜別』(新潮文庫))