ハイホー、口笛に至らずとも
充電器にセットしたはずの携帯電話に、
命が吹き込まれていない。おんぼろだな。
家を出るまでのわずかな時間に少しだけ充電し、
雑メモを送ったら、本を読む。読書には、
充電は要らない。読書が僕の充電だ。
読了。
石橋毅史『口笛を吹きながら本を売る: 柴田信、最終授業』(晶文社)
考えてみれば、皆、自分だけが知っている成果がある。それをひとつひとつ拾いながら、なんとか自分を励ましている。(p.203)
地味で、もどかしいくらい遅々とした仕事を、
悲しいほどに少しだけ片付けて、退勤。
けれども労働に疲れて家路につくのは、
それほど不幸なことではないと思うのだ。
ハイホー、ハイホー、仕事が好き、という翻訳も、
あながち社畜根性の表れとは言い切れないのではないか。
会社がどうのこうの、というのではなく、単純に、労働の話。