書棚の森で、なに祈る?

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義


今日は休配。
送品表を見ることなく、本を開け。


車中のとも。(行き)
矢萩多聞『偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)』(晶文社


ミティラー画に出会って、久々に何もかも忘れて絵を描く多聞少年。
良かったなぁ。初めての個展の大成功、横浜で三年間個展を続けて、
18歳で銀座で個展を。ときおり登場するチクリチクリと刺してくる言葉が、
痛い。負けるな、多聞少年。そうして、また、自著を持参営業する著者さんを、
冷たくあしらう自分の姿を想像して、ハッとする。多聞少年を刺しているのは、
私だ。

売りたい気持ちは山々だが、下品にはなりたくない(p.123)


「売れる」ことの大切さについて語られている。
書店で働く友人の話も出てきて、身をすくめる。
「下品になりたくない」という言い訳を盾に、
売るための工夫が足りない自分を思う。


まず売るために精一杯やって、
下品さを反省するのは、その後だ。
・・・そうかしら。でもまぁ、大きな声で、
「いらっしゃいまっせー、いかがっすかー」という気合は、
あった方がいいんじゃなかろうか。どうだろうか。店の雰囲気にもよるか。


「描くこと」と、「売ること」との違い。
「描くこと」は、祈りであり、そこに難しい理屈は要らない、のかな。
「売ること」には、また別のエネルギーが要る、のだな。
本を売ることにも祈りの部分があった方がいい、のにな。
って思ったけど、どうでしょ、要らないのかも。


本を売ることは、
誰かの祈りを支えることなのかも。


   でもあれだな、はたきをかけたり、
   ひらづみのみだれをなおしたり、
   ありがとうございましたというときは、


   祈りだな。


   おきゃくさんのさちをいのるときもあるしな。


気になる新刊。
いとうせいこう想像ラジオ (河出文庫)』(河出書房新社


文庫化しましたな。
未読なんです。読みたいんです。


車中のとも。(帰り)
矢萩多聞『偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)』(晶文社


谷川俊太郎の登場に度肝を抜かれる。再読なのに・・・。
あぁ、『インド・まるごと多聞典』*1、まだちゃんと読んでないなぁ。
そして中島岳志も、登場。『中村屋のボース』*2!。すごい面白い。
中島さんは気になっているのだが、まだ一冊も読んだことがない。
もう白水Uブックスに入っているが、装丁の話を読むと、
単行本で欲しくなってしまうわな。