ふたりのエーミール

エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家の生涯


今日は、お休み。
返却期限が迫っているこいつと対峙する。
この分厚さとうらはらの読みやすさに愕然とする。
もしかして、今日中に読み終わるかも、と慢心する。


スヴェン・ハヌシェク、藤川芳朗『エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家の生涯』(白水社


原著は1999年のもの。訳者あとがきから攻める。
「この困難な時代に出版に踏み切った白水社の勇断にあらためて敬意を表する」とある。
ほんとうに、こんな分厚くて高い本なんて、どれだけ売れるのか。
(どれだけ断裁されるのか。ナチスがいない時代にも関わらず)


エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家」
「トランプの札として使われた子ども」
「EかZか 本当の父親は誰も知らず」
の3編を読む。父親についての話は、
以前に読んだ『ケストナーの生涯』*1でも出てきていた。


高橋健二の書いた『ケストナーの生涯』によれば、
ケストナーの父親はエーミール・ケストナーであるのが「定説」だが、
「事実はそれに反しているようである」(p.282)と書いてある。
「芝居もまた真実である」(p.282)とも書いてある。


ハヌシェクによる「自伝」では、高橋の筆と比べると、
よりはっきりと「どちらかわからない」と言っている。
そうなんだー、と思った。なんとなく、医者の隠し子説を
採用してしまったいたみたいだ、僕は。ふたつの本を読んだ今は、
エーミール・ケストナーが本当に父親だったのかもな、と思う。


高橋の文章では、「戸籍上の父」エーミール・ケストナーへの同情(?)からか、
ちょっとセンチメンタルに次のような記述があった。
「彼の出世作『エーミールと探偵たち』はエーミールという父の名を
 主人公に冠している。父親への親愛のあらわれと考えられる」(p.279-280)
こちらの本では、「真実の父親」の名前は「ドクトル・チンマーマン」とある。
ところが、ハヌシェクの「自伝」では、「エーミール・ツィンマーマン」とあった。
こっちもエーミールじゃん!高橋の言うように「父親への親愛」だったとして、
どちらの「父親」なのか、この一件からは分からなくなってしまった。
せっかく高橋が慰めてくれていたのに(?)かわいそうなエーミール・ケストナー


この問題についての結論は、著者がザクセン中央文書館に、エーリヒ・ケストナーの実の父親はエーミール・ツィンマーマンだという説があるが、と問い合わせたときのこんな簡潔なコメントにあるだろう。「現存する記録によって証明することは不可能です」。
 それともう一つ、トスカーナ地方に残るわらべうたの一節を、最終的な結論と見なすことができよう。「ちょっぴり犬で/ちょっぴり猫で/だれにもわからない、どっちが父親か」。(p.52)


スヴェン・ハヌシェク、藤川芳朗『エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家の生涯』(白水社


気になる新刊。(既刊もあるデヨ)
北杜夫 ---追悼総特集 どくとるマンボウ文学館 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)』(河出書房新社
小熊英二社会を変えるには (講談社現代新書)』(講談社
福岡伸一ルリボシカミキリの青―福岡ハカセができるまで (文春文庫)』(文藝春秋
伊藤正『〓小平秘録〈上〉 (文春文庫)』(文藝春秋
伊藤正『〓小平秘録〈下〉 (文春文庫)』(文藝春秋
葉加瀬太郎顔―Faces (新潮文庫)』(新潮社)
網野善彦『歴史を考えるヒント (新潮文庫)』(新潮社)


借りた。奈良県立図書情報館。
岡崎武志昭和三十年代の匂い (学研新書)』(学習研究社
豊崎由美ニッポンの書評 (光文社新書)』(光文社)