起こり得ることと起こったこと

1989年?現代史最大の転換点を検証する (平凡社新書)


防災訓練があった。
正直、今でもなお、火災がおこったら適切に行動できるか、
自信が無い。なんと言うか、今までで一番、
危機感を感じながらの訓練だった。


というか、今まで、どうしていい加減な気持ちでおれたのか。
火災に限らず、地震やなにやら、不測の事態というのが、
「起こり得る」ということを切実に感じるようになったのだろう。
小学校とかの避難訓練とかも、めちゃめちゃ真剣にやった方がいいよね。
もし今、自分が小学生だったら、おふざけせずにいられるか、
これまた自信が無いのだけれど。


読了。
竹内修司『1989年?現代史最大の転換点を検証する (平凡社新書)』(平凡社


面白かった。印象的だったのは、中国の天安門事件のあたり。
名前はもちろん知っていたが、内容は全然知らなかったことが判明。
中国でも民主化を求めるたくさんの人がいるのだな、と、
ことばにすると恐ろしいが、そんな感想を抱いた。


ああ、無知の恐ろしさ。
そりゃいるだろう、民主化を求める人は、たくさん。

あの時代が過ぎ去って二十年経った。「後の世の者」どころか、その時代をまるごと生きてきたはずの筆者の世代にとっても、消え去った時代を理解することがむずかしくなった。(p.224)


同時代にいるときにしか見えないこと、感じられないこともあろうが、
振り返ってみたからこそ見えることもあるんじゃないか、と思う。
僕は、全くと言っていいほど世界情勢に関心がないけれども、
きっと「どうやって考えていいのかわからない」からなんじゃないか、
とも思う。こうして歴史としてベルリンの壁崩壊なんかの頃を学んで、
自分のおぼろげな記憶と照らし合わせて、「ああ、世界ってこうだったのか」
「あのときのあのスゴゲな報道は、こういうことを報じていたのか」という検証が、
いずれ今の世界へピントを合わせてみようというときに、
何かの役に立つのかもしれない。