ちょー、ちょー

超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー


寒いですな。
どうしたら、寒くないか。
たくさん着ればよいのか。


読了。
野口悠紀雄超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー』(講談社

データを自分で抱え込まないこと(メールで自分宛に送るか、オンライン格納)(p.20)

「どのような能力を磨くか」についての見極め(p.21)

検索力こそ最重要(p.25)

スパムメール除去機能は、ほぼ完璧(p.37)

人名を頼りとすると、メールを効率的に読める(p.39)

検索作業の最重要の課題は、「雑音の排除」である。(p.137)

「賞」という言葉は、調べるに値する対象が入っている部屋を探し出すために便利な検索語になる場合が多い。(p.156)

情報洪水時代に必要なことは、情報の選別の仕方や捨て方である。(p.223)

問題設定、仮説の構築、モデルの活用、(p.230)

教師に要求されているのは、「良い質問」を作ること(p.232)、

つねに何かを求める強い欲求や知的好奇心が、何かの刺激に触発されて、問題意識を明確にする。重要なのは、インセンティブであり、目的、目標だ。(p.232-233)

「考え続けていること」こそが、アイディアを導くのである。(p.244)

!!(p.248)

何をおいても必要なのは、「とにかく始める」ことだ。(p.249)

歩けばアイディアがでる(p.252)

「頭に材料が詰っていれば、環境が少し変化したところでアイディアが得られる」。もちろん、重要なのは、環境の変化そのものではなく、それに先だって集中することである。(p.253)

寝る前に材料を仕込む(p.255)


なぜ問題設定が重要なのか、について、
ふと考えた。ズバリのこたえはなかったようだ。


問題設定ができなかったら、
どんなデメリットがあるのかしらん。


凡庸なひとになる?
凡庸なひとになると、どうしてダメなのかしら?


まあ、面白くない人生よりは、
面白い人生のほうが面白そうだし、


問題設定ができると、より人生が面白くなるよ、
とかそういう話なんじゃないのかな、と勝手に決めつけてみる。


と思ったら、こたえっぽいところをみつけた。

地上波だけみていては、「皆と同じ」にしかなれない。そして操作され、搾取される。

<中略>

無批判にプッシュを受け入れるだけでは、簡単に世論操作されてしまう。政治的イシューについては、皆がプッシュをただ受け入れるだけでは、付和雷同現象が起こり、社会はある方向に暴走する。第二次世界大戦がそうだったし、バブルもそうだ。「改革」フィーバーが起って自民党が大勝した二〇〇四年の総選挙もそうである。これは、健全な社会とは思えない。
(p.206-207)


なるほど。
それでも、ちょっと、「操作され、搾取される」ってどんなかな、
とか思っちゃう。「操作され、搾取され」てから、
「ふざけんなー!!」って革命を起こしてみたい気もする。


「健全な社会」に、あまり魅力を感じない。
「健全」ということばのせいかしら。


「安全な社会」は、いいと思う。
「危険な社会」は、怖い気がする。


でも、
「安全なオトコ」は、つまんない気がする。
「危険なオトコ」と、思われたくもある。



もうちょっと刺激をもらえるかと思ってたが、
意外と、物足りない感じの読後感であった。


「整理法」って、字面がいいのかもな。
水平線多いし、なんか、いい感じに整理されそうだもんね。


上記の引用で、初めて知ったこととかって、
そんなにない。というか皆無か?


それでは、聞いたことがある「知恵」を、
野口悠紀雄せんせいも仰っているから、
「やっぱね!」と安心すればいいのだろうか。


そうかもね。
かもね、かもね、そうかもね。
たぶん、ぜったい、そうかもね。


「超」という言葉も、いいんだろうな。
あと、なにげに「カッコ」もいいのかもしれない。


タイトル勝ち、タイトル価値。