ただ生き延びるための徘徊
読了。
小野博『ライン・オン・ジ・アース』(エディマン)
うすうす「いいだけじゃない」とは思っていたが、
今日読んだところだけで、何回も何回も、打ちのめされた。
想像もしてないような世界が、悲惨な世界が、
存在するのだ、「ノンフィクション」で、
ぼくの知らないところで。
だからといって、そこに突撃しなければいけないということは、
ない。ぼくはぼくの「悲惨」を生き抜けばいいのだ。
それを「悲惨」と呼べるのならば。呼べないけどね。
ああ、ラゴス。
新しい街に到着してしばらくすると次の場所について考え始めていた。そして「ここではないどこか」について考えている自分を冷静に観察することで、「どこか」がここではないことに気づかされる。そのとき人間というのはすごく正直にできていると思った。別の可能性について考えているということは、まだそこは一番ではないのだ。(p.187)
ほとんど日本を、というか「東京」を出たことのないぼくが、
「ここではないどこか」について言うことは、ほとんど不可能だが、
別の可能性について考えていないことがすなわち、
いま、ここが一番だということでは、もちろんない。
今年は、五本の指とか、決めるの大変そう、
と思っていたけれど、それはそれだけの本に、
ぶちあたっていなかったからなのかもしれない。
ぶちあたりました。一本目。
今日は、根津から神保町まで歩きました。
そして、バウハウス・デッサウ展、行ってきました。
若い人たちがたくさんいて、「芸大のひとなのかなぁ」
と思いながら、ちらちら顔色を窺う。
自分のことは棚に上げて、「こいつら、この展示見て、
いったい、何を面白がっているんだろ、ポーズ?」
小野博を読んだあとだったのもあってか、
「生きる・死ぬ」とかけ離れたニッポンの平和な展示に、
少々、肩身の狭い思いも感じつつ、けれど身の程知らずにも、
グロピウスの設計した校長室の再現に興奮したりして。
何がって説明できないけど、すごくわくわくした。
大学の授業だったかで見たことのある、
なんともシュールな「舞台工房」の映像も見た。
上野公園を歩いていて、そういえば、あいつは、
ブロックで作ったみたいなあの建物はどこだ?と探した。
たぶん、なくなっちゃったんだろうな、と思いながら、
写真を撮った。今、木村衣有子『もうひとつ別の東京』*1の、
37ページの写真を見て、確信。なくなっちゃったんだね。
ちょっと遠いかな、とも思ったけど、
曇天があまりに素敵だったから、歩く。
目指すは、光代のサイン会、整理券。
昔、ときどき車で通った17号線を歩いて渡る。
購入。三省堂書店神保町本店。
田中眞澄『ふるほん行脚』(みすず書房)
角田光代『何も持たず存在するということ』(幻戯書房)
四階で、以前ABC六本木で見た、三冊屋を発見。
ABCよりもゆとりのあるレイアウトになっていて、
選者コメントカードのファイルが開かれて置いてあり、
ついつい読んでしまった。主婦とかが登場して、
びっくり。ISISの生徒か?三冊セットの群、
すべて売っているらしい。POPに書いてあった。
値段を計算せずにレジに持っていくほどおとなじゃない。
というか、そもそも選ばれた本たちが難しそうダヨ。
気になった本。
矢島康吉『古本茶話』(文学の森)
音楽は、時間を流してくれる。
ページを開いて、そこにある世界をたちあげる元気がなくても、
強制的に脳に流れ込んでくるメロディーが、
ぼくのなかの歯車をからからと回す。
歩きながら、ずっと、ぶつぶつとうたを口ずさんでいた。
今日のこの徘徊が、だれを幸せにしただろうと、
秋葉原に向かう路地裏で、苦い気持ちになった。
ルワンダで、一生懸命逃げている子どもたち。
ぼくは、力のかぎり走らなくても、いいのか。