ちょっと待って、もう少し読ませて。
風呂読み、車中のとも、待ち合わせのとも。
鷲田清一『「待つ」ということ (角川選書)』(角川学芸出版)
なかなかに面白い。ちょっと難しい気もするが、
色々なひとの文章が引用されていて、そういうのに励まされて、
読み進む。
『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』、『ミック・ジャガーの真実』、
太宰治の「待つ」「走れメロス」などなど。
ときどき、ひどく分かりやすい文章にもゆきあたる。
でも、ふとすると、どうしてこの人はこんなことを言っている、
考えているの?という気になったりする。
でも、読み進む。
p.61の「ここでわたしは、わたしのばあいにはけっしてそうではなかった<母>というものの姿をおもう。」
という文章から始まる一連の考察が、鷲田清一自身の体験のことなのか、
よく分からない。が、たぶんそうなんだろう。そうなんだろうけど、
「わたしのばあいにはけっしてそうではなかった」ってどういうこと?
「待つ」ことと、「待たない」ことが、いろいろいじられている。
「待たせる」ことについても。
ちょっと、この本、面白いですよ。