友だちor家族

対岸の彼女


読了。
角田光代対岸の彼女』(文藝春秋
小夜子と葵のふたりの語り手という構成が、
終盤、ぎゅぎゅーっと、ぼくの気持ちをしぼりあげていった。
面白かった。


ひとによって、見えている世界はバラバラで、
その当たり前のことが、怖いことなんだ、と、
角田光代の小説を読んでいて思う。


いやなやつらがたくさん出てくるけれど、
語り手が変われば、そのいやなやつ、と思っているぼくが、
今度は、殴ってやりたいくらいムカつくやつだったりする。
ぼくに見えている「世界」の薄っぺらい音。


女同士のいじめ、かげぐちみたいのが、頻繁に登場する。
学校で、職場で、お母さん同士のあつまりで。
これは、戦後日本女性に特有の、現象なんだろうか。
でも、木原っておとこも一枚かんでたりするしなあ。
駅の階段を上りながら、20代の女同士がふざけあっている姿をみて、
「いつまでも仲良くやれよな」とか思った。


女にとって、女友達とは、なんぞや、みたいな。
大人の女にこそ、女友達を、みたいな。


うまくいってない家族が、またもや登場する。
夫婦と姑って構図が、結構出てくるが、
その描写にいちいち「夫、ムカつく」「だまれ、姑」と思うのだが、
あんがい、主人公(妻)は、表面的にニコニコと、
裏ではらわたを煮えくり返らせながらも、その「家族」を、
営んでいってしまう、のは、なぜなんだろう。


で、ときたま、そういう家族にも、幸福っぽい時間が流れたりして、
でも、それでいいんですかい。いったい、なんのために、
「家族」は続いていくんですかい。


結婚したみつよの、世界観に変化はあったのか。
新しい小説も読んでみたい。が、とりあえずまだまだ、
読んでいない小説が残っていて、安心だ。