Kのいない世界で

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))


食堂でお弁当を食べながらふと、
前方を見ると、ひとりの男がうつむきながら、
右手を伸ばして携帯電話をかざしている。
『あ、自分を撮っている・・・!』


画面を確認しては、再びうつむいて撮影。
10回くらい撮り直していた。


読了。
E.ケストナー高橋健二子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))』(岩波書店

そしてそれから四か月ほどして、ルイーゼロッテから、彼女の「生活の道連れ」の死への弔電の礼状が来た。それには「私だけが彼を失ったのではありません」という意味深長な、彼女としてはおそらく傷心のきわみの一言が添えてあった。(p.205)


全く、ケストナーのいない日本で、どうやって、
すてきな生活を守っていけばよいのだろう!
(なんて、全然、ケストナーのこと、知りもしないくせに)
・・・ケストナーの本を蒐集したい欲求にかられた。


車中のとも。
野崎歓カミュ『よそもの』きみの友だち (理想の教室)』(みすず書房


カミュの「異邦人」*1を、野崎歓氏が「よそもの」という題で、
部分訳したものが冒頭に載っている。この作品の最大の特徴は、
「言葉づかいの平易さ」であるという野崎氏の訳は、
確かに読みやすいようにも思えるが、タイトルはやはり、
「異邦人」の方が、好きだなぁ、僕は。

*1:カミュ、窪田啓作『異邦人 (新潮文庫)』(新潮社)