1978年のインストール

1973年のピンボール (講談社文庫)


1945年、というと終戦の年。
それから33年後に僕が生まれ、
それからさらに33年後に娘が生まれた。


娘にとって僕が生まれた年は、
僕にとっての終戦と同じくらい昔のこと、
になるのだね。時の感覚というのは、
なんとも不思議なものですね。


車中のとも。
村上春樹1973年のピンボール (講談社文庫)』(講談社

三日めの朝に、小さな鼠がその罠にかかっていた。ロンドンの免税店に積み上げられたカシミヤのセーターのような色をしたまだ若い鼠だった。人間にすれば十五、六といったところだろう。切ない歳だ。ガムの切れ端が足下に転がっていた。(p.14)


もう何度も読み返している小説だが、
こういう箇所にぐっとくるというのは、
年齢がなせるわざなのかもしれない。


学生時代には、ぐっとこなかった。
十五、六という年齢は、さっさと忘れてしまいたいだけの、
ピントが合わないほど近い対象だったのかもしれない。