プリキュアを見ているときに娘たちが見ている者たち
娘たちがプリキュアを見ている。
以前のシリーズで登場していたプリキュアが、
再登場している。それにしても、すごい人数だ。
上の子は、けっこう把握している。自分では、
見ていなかったシリーズのプリキュアも、
なぜか名前を知っている。すごいな。
車中のとも。
原民喜『夏の花・心願の国 (新潮文庫)』(新潮社)
「障子の硝子」ということばが、二回出てきた。
当時は「コピペ」なる行為は存在しなかったわけで、
脳内で、「障子の硝子」という語が、再登場したのだろう。
それを、もう一度、紙の上に記したのだろう。「障子の硝子」って、
でも、どういうのなんだろ。像が浮かばない。いわゆる障子の、
紙の部分でないところ(真ん中より下の方?)に
はめられたガラスのことなのかしら。
「冬日記」にこめられた不安になぐさめられている。
休憩室にて、出勤前の弁当タイム。
秋空の青さは感傷を深めてくるので、眺め過ぎに注意しなくてはならない。
不安を振り切るために文庫に手を伸ばす。原民喜の文章に、あっさりと、
のめりこんでいく。この文章に「美しき死の岸に」という題をつけたのか。
いや、この題をつけてから書いたのかもしれない。深いため息。
夕方の休憩時、井上修一先生の文章が読める、というので、
毎日新聞を買ってきた。一面に「海賊版誘導に罰則」の見出し。
三八には晶文社『あとがき』の広告も。鴻巣友季子評の二冊も気になる。
マイケル・エメリック『てんてこまい』(五柳書院)
辛島デイヴィッド『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』(みすず書房)