外へ出て、さて、どうしよ

逢沢りく 上 (文春文庫 ほ 22-1)


今日は雑誌の入荷、そんなでもなかったな、
と送品表を取り出して、襟を正す。
すいません、りなちゃさま。
健康誌、パズル誌、っておい!
しっかり入ってくるじゃありませんか!


車中のとも。
片岡義男日本語の外へ (角川文庫)』(角川文庫)

地域のこれからというものを、日本はどうとらえているのか。平和がいちばんいいにきまっているが、ではその平和を作り出すために、日本はなにを提案するのか、なにをしたいのか、なにが出来るのか。国家が軍事力ですべて請け負いますという答えは最悪のものだ。そうか、そういうことか、それはいい、と地域各国が正しく読み取ることの出来る、どこの国も賛同するこれからの全体像が、日本に描けるのかどうか。もし描けるとしたら、それを実現させていくにあたっては、たとえば日本国憲法の制約などなにひとつない。(p.599)


そのまま、今の日本の現状と照らし合わせてうめくこともあれば、
本屋の仕事になぞらえて冷や汗を流すこともある。


たとえば、
「状況を見ないこと、そして昔は有効だったがいまはもはや有効でない政策を、頑として守りとおす」(p.602)
というところとか。


気になるところに線を引きながら読んだとしたら、
線だらけで読みにくくなるような、唸りすぎてのどがかれるような、
そんな文章が続く。顔面が緊張でひきつるような感じがする。
614ページの余白に「あっ!」となったところで駅に着いた。


わたしは果たして、レジの状況を見ているだろうか。
もはや売れていない平積みを守り通していないだろうか。


購入。
ほしよりこ逢沢りく 上 (文春文庫 ほ 22-1)』(文藝春秋
ほしよりこ逢沢りく 下 (文春文庫 ほ 22-2)』(文藝春秋
さかなクンさかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~』(講談社


刊行情報とかで事前に知っている本よりも、
店頭で出くわしたものを反射的に買ってしまう。
『逢沢りく』、9月刊行予定文庫リスト載ってた?
ちゃんと、さかなクンのも、買いました。


読了。
片岡義男日本語の外へ (角川文庫)』(角川文庫)


残っていたあとがきを読む。読み干して上を向く。
単行本は、1997年5月に筑摩書房から出たとのこと。
311よりも911よりも前のこと。20年近くが経っている。
いたずらに憲法違反を重ねた20年だったのだろうか。


日本のこと、政治のこと、日本語のこと、本屋さんのこと、
いろいろと考えるヒント、示唆を含んだ、頼もしく分厚い文庫だ。
読み返すよりも、この本を読んだときの緊張感を思い出すことで、
日々の暮らしの糧としたい気がする。


「自分のやりたいことを自前で見つけ、それを存分に追ってみる日々」(p.613)


少々、煙がたちのぼっている脳を冷やすために、
買ってきた本を手に取ろうかと鞄を開く。少し迷って、
気楽な方をと、文庫本を引っ張り出した。


車中のとも。
ほしよりこ逢沢りく 上 (文春文庫 ほ 22-1)』(文藝春秋


りくをにらむ猫の目つきが、いい。