寝坊、代わりに読む、夢の国

7時過ぎに目が覚めた。
しっかりとした、寝坊だ。
5時台の電車に乗らなければならなかったのだ。


ゆうべの『自殺会議』*1読了が、
起きられなかった理由なのは間違いない。寝坊すると、
「死んでしまいたい!」と思いがちなのであるが、
「いやいや『自殺会議』のせいで自殺ってありえん!」と、
可笑しくなってきて、もう、この先、自殺はできなくなってしまったな、
と、晴れやかな気持ちで、身支度をする。


ゆうべ、『自殺会議』を読み終えたあとに、
新幹線で読む本を選ぶのにも少し時間がかかってしまったのを思い出した。
そんなことをしているから起きられないのだ。しかし、今朝は、
二度寝にさえならない、セットしまくった目覚まし時計に、
一度も目が覚めずに7時を過ぎてしまったなぁ。そうそう、
それで少し時間がかかりながらも友田とんさんの、
『『百年の孤独』を代わりに読む』を選び、
「代わりに読むTシャツ」も用意してから寝たのだった。
準備は、なかなかに抜かりなかったのだが、目が覚めなかった。


京都行き近鉄特急の中では気分が乗らず、
ただ眠気をこらえながらTLをさかのぼったり、
置いてきたと思っていたiPod をコートのポケットに発見して、
世田谷ピンポンズを聞いたりして過ごした。不意にしたスマートEXのことは、
それほど悔やむことなく、京都駅のATMでお金をおろして、指定席をとる。
二人掛け、通路側。やはり気分が乗ってこないので、最近止まっていた、
キタムラ氏へのはがきを書く。そっちの気分が乗ってきたので、
センパイにもはがきを書く。残り3分の1ほどのところで、
ぴたっと手が止まった。これはこれで、嬉しい。
余白を残して、何を書くか、まだ自由。


何か書きたいことがわいてくるまで、本を読もうか、と、
ようやくはがきを書くときにしたじきにしていた『代わりに読む』を、
読み始めた。・・・面白いじゃないか。三上博史が出てきた。


車中のとも。
友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』。


因みにセンパイの卒論はマルケスだった。僕は読んだことないマルケス
1003でこの本を見つけたときに、センパイに「買いますか?」と訊ねたのだった。
なんとなく、センパイをさしおいて、という気になってしまったのだったが、
センパイは既に『百年の孤独』を読んでいたし、卒論さえ書いていたのだから、
むしろ読むべきなのはぼくの方だった。これはもしかしたらセンパイの代わりに、
『代わりに読む』を読むことになりはしないか。


ひとつひとつの章が短いので、進んでいる感がしっかり味わえる。
東海道線の車窓から久しぶりに見えた富士山は、あまり白くなかった。


予定より、3時間近く遅れて、妻子に合流。
大好きなカントリーベアージャンボリーを満喫。
最後に、壁のはく製が言う「また来てね」「ほんとに来いよ」みたいな台詞に、
『この念押しのせいで、何度も何度も来てしまうんだよなぁ』と、久しぶりに思った。
あの、なんというか、約束を守った喜びというか、誰かのお願いを聞いてあげた喜び、
みたいなのを感じるのだ、再訪して、この録音されたことばを耳にするたびに。
そして、いつかまたここにやってきて、「約束守ったよ」って思うことを、
想像するのだ。あともう何回か、再訪できると思っている。
このアトラクションが取り壊しになるとしても、
そうなればなおさら、来ることになるだろう。


夜は母の家へ。
父母のどちらかに渡そうと思って持ってきた本の、
どちらをどちらに渡そうか決めかねて、布団に入ってしまって、
眠りに落ちそうになりながら、どうしよう、どうしよう、って思って、
寝た。

はてなダイアリーが終わるので

明けましておめでとうございます、と、
書くか、否か。この記事は、実際に、
今年最初のアップ記事であるのだけれど、
これまで、「その日にあったことを、その日に書いた風に」、
過去の日付のものも、後からねじこんだりもしていたので、
例えば今年なら、1月2日に初出勤したときの記事を、
長田弘の『読書からはじまる』を読んだことも含め、
「明けましておめでとうございます」なんて言葉から、
しゃあしゃあと2月くらいにねじこんだりすることも十分予想できる。


でも、こないだ配信が始まったフヅクエ阿久津隆さんのメルマガ*1読んで、
日記の、その日のその瞬間の発話的な記述が羨ましくって、
まんま、そのまんまマネしてみたくなったり、そうじゃないと、
伝えられないこともある気もして、ほんのちょっぴり気まずさもあるけれど、
今日、1月17日の記事は、阿久津隆のマネをして、こんな風に、
今日の、この感じをそのまま書くことにしてみた。


だから、やっぱし、言おう。


明けましておめでとうございます。


2019年も、よろしくお願い申し上げます。


何をよろしく?


そうね、くじけたときの声援とか、
「それ、おもろいね」と思ったときのめくばせとか、
そういうの、よろしくお願いいたします。


はてなダイアリーが終わりますな。
それに合わせて、とり本屋さんも終わりにしよう、
ちゅうのを、ときどき考える。まぁ、わざわざ「終わり」とか、
宣言しないでもすでに去年の11月くらいから記事が途絶えがちだし。


感傷でしかないんですが、
大好物なのでね、感傷。


阿久津さんのマネをするつもりだったのに、
あれだね、改行増やした途端に、別モノになってしまったね。
いいね、それでいいね。いいんだよね。


あいみょんが流れている。
去年の大晦日は出勤で、紅白のあいみょんの出演シーンは見逃した。
というか、そもそもあいみょん知らなかった。翌日か、翌々日か、
妻がネット配信みたいなやつであいみょんを部屋に流していて、
それでその歌とその名前を知った。いくつかの曲のメロディーと、
歌詞が気にいった。妻はすぐに飽きたみたいだったけれど、
僕はなんだか好きになってしまって、その後もときどき、
妻がいないときを選んで部屋にあいみょんを流した。


とうとう、アマゾンでCDを買った。iPod に入れたいと思ったのと、
歌詞カードを読みたい、と思ったので、曲だけなら家で聞くこともできるのに、
CDを買ってみた。少しばかり、応援したい気持ちもあったかもしれない。


えっと、はてなダイアリーの話だ。はてなブログに移行するのが推奨されていて、
自力で移行しなくても自動で移行されるらしいので、まぁ、このブログも、
「2019年春」には移行されてしまうのだ。あなたがこの文章を読んでいるとき、
背景の青色は、まだ残っているでしょうか。この記事はまだ、
はてなダイアリー」上で表示されているのでしょうか。


はてなダイアリーの、「とり、本屋さんにゆく」の見た目、
けっこう好きだったんだけどなぁ。


記念すべき、投稿第1回めは、「春樹は静かに平積みされる」という記事だった。
http://d.hatena.ne.jp/tori810/20040906


アフターダーク』の、単行本が発売になった日のことか。
枕を平積み、いま、なんちゃら枕っての売ってるな。宝島かな。
色違いもあって、平台の一画を占拠したりしてる店もあろう。
あたしの勤め先でも、わりと売れているので、平積みしている。
でかすぎて、2個くらいしか置けないけど。


青山ブックセンターが「倒産」したことに対する、
ささやかな「抵抗」というか、リアクションとして始まったのが、
このブログだった。忘れていた。2004年9月。29日の記事では、
「復活」した青山ブックセンターの、まずは六本木店へ、
足を運んでいる。あぁ、青山ブックセンター六本木店!


青山ブックセンター再開」:http://d.hatena.ne.jp/tori810/20040929


最初のうちは本屋さんでバイトしていることは隠していて、
ただ気になった本や、読んだ本や訪ねた本屋さんのことを書いていて、
それが「書店員」としてのことばでないことが重要な気がしていた。
2008年に本屋を辞めた。そのことは、なぜか言いたい気がして、
大げさに騒ぎ立てた。そうしてその後は、別なバイトをしながら、
ただの「客」として、本屋さんに行って、ときどき記事を書いた。


それでも、本屋さんにゆく。
http://d.hatena.ne.jp/tori810/20080228


その間にも、心の底では、未練が残っていたのだろうか。
バトンを後ろ手に隠していたのだろうか。


バトンは誰に渡ったか。
http://d.hatena.ne.jp/tori810/20080829


2011年、東日本大震災。年末に奈良に引っ越して、
2012年から、再び、本屋さんで働くようになった。
「2011 五本の指」:http://d.hatena.ne.jp/tori810/20120104


それから7年、か。
ふむふむ。一度、本屋だったことを記したあとでは、
復帰したことを隠すのも気持ちが悪く、復帰後の記事は、
いちおう、「書店員」としてのことばになっていることは、
忘れないようにしてきたつもりだけど、その線引きは、
あんましよく分からない。以前はそうだったし、
今でもそうなのかもしれないけれど、僕は、
ただの本好きで、自分の好きな本のことを、
知るために本屋に潜入しているスパイみたいな、
あんまし「あたし書店員なんです!」みたいな誇りとか、
矜持みたいのは持っていなくて、すんません、こんな半端者が、
とかコソコソして、「あ、こんな新刊出たの!」とか喜んでるだけの、
そういう奴だったんです。そのくせ、自分がおじいちゃんになったとき、
通うための「本屋さん」という存在は日本で生き残っていてほしくって、
その生き残りに少しでも寄与できないかと、「作業員」としてバトンをつなぐ、
そういうことをしているつもりだった。いや、そういうことをしているつもりだ、今も。


ただ、この徹夜棚卸し明けの、あいみょんの流れるうっすら寒い部屋の中で、
いや違うか、さっき、というかもうけっこう前だけど、ふとんの中で考えたのだったか、
「なんか、もう長いことないのかもしれないなぁ」というおなじみの、根拠のない死の予感が、
そんな風に卑下しながら、ちまちまと働いている暇はないんだよ、と僕を突っついてきていて、
「この本がいいな」とか、「こんなことしてみたいな」ということがふっと浮かんだなら、
もう精いっぱい、生き急いで、えいやっと、やってみたらいいんだ、って思った。
ていうか、もう、ほんと、長いことないような気がしている。
辻征夫の年譜を読んだからかなぁ。60歳まで、あと、でも、
20年か。まぁまぁ、あるな。全力疾走でなく、小走りで。


去年の読書を振り返る記事は、近いうちにまた。
今年は、また、長谷川書店さんでひとり芝居やりたいなぁ。


はてなダイアリーが終わる前に、また、
このフォーマットで記事が書けるといいなぁ。
はてなブログになっても、まだ、ブログ続けられるかしら。


今日は、あいみょんのことばっかし書いたけど、
世田谷ピンポンズさんのことを忘れたわけではない。
あいみょんを知って、いいな、と思ったときに、すぐ、
頭に浮かんだのは世田谷ピンポンズのことで、近い!と思ったのだ。
もう、あいみょん×世田谷ピンポンズライブ@古書ビビビ、というのを、
僕のために開催してもらいたい、という妄想までできあがっている。


なので、近いうちに、あいみょんとピンポンズの曲を組み合わせたカセットテープの、
編集をしよう。嘘、カセットテープもう持ってない。プレイリストを編集しよう。


皆さん、はてなダイアリーが終わる前に、
「とり本屋」の過去記事、見てみてね。
そんでもって、話しかけてくださいね。


再見。

*1:メールマガジン「読書日記/フヅクエラジオ」の配信を始めます。:http://fuzkue.com/entries/595