怠け者の矜持
昨年末から妻、次女、あたしと、
なんとなく具合が悪かったのだが、
元旦早々に休日診療所にて「陽性」診断をいただき、
ひとり元気だった長女も二日遅れて、「陽性」の。
喪中の「しきたり」をよく知らない身に、
強制的に「お正月封じ」をしてくれたウィルスに感謝。
いや、なに、その感謝。
ぐったりと、まさに寝正月。
果たして健康体であったらどこまで動いていたか、
なんとなく胸を張って寝込めるのはありがたいやら、
それでも具合が悪いのは、気が滅入ることでもある。
気が滅入ることでもあるのだが、からだ元気、ココロしんどい、
というアンバランスと比べると、案外、ココロしんどい、
からだもしんどい、「え?お前さんも?ご一緒!!」と、
なぞのバランス回復感もあって、ふしぎなものよ。
秋口から、細々と読み継いできた「鬼平」を、
少し元気があるときには手に取って読んだ。
例年、勤務初日には長田弘の『読書からはじまる』を手に、
その年の読書へ勢いをつけたものだが、今年は「勤務」そのものが無い。
年越しの「境目」さえ曖昧で朦朧とした年明けであるから、
昨年からの「鬼平リレー」もかえって状況にふさわしい。
とはいえ、子どもの元気が回復してきて、また、
妻もリモートで勤務を開始すれば、なんとなく、
あたしも重い腰をあげなければならないような気がして、
けれど熱も下がったはずの頭が痛い。頭がいたけりゃ、
重い腰も布団の下に隠したい。ゆうべ、
枕元に置いておいたこいつを開く。
枕頭のとも。
大事な用事や仕事があるにもかかわらず、まったくやる気がでなくて、ずっと家でだらだらしていたいとおもうことがよくある。(p.9)
ダルさと魚雷さんのことばを盾にして、
だらだらと布団の中で読み進めたり、
遅い朝飯をいただいてからまた、
姿勢を変えて椅子座で読んだり、
具合の悪い心身にしみいるような魚雷節。
いつだったか、「具合の悪い時に読みたい本」
っていうリストをこしらえたこともあったっけ。
頭痛いから寝転んでいるはずが、
寝転んでいるせいで頭痛がおさまらないんじゃないか、
とかも思って、昼食を取ったあと、こうしてパソコンを開いて、
文章を打ち始めてみた。子どもらは2階でおとなしくしている。
妻は向こうで仕事をしている。
例によって、昨年を振り返る記事は別に改めるとして、
今日は、今年最初の記事として、問わず語りに書いてゆく。
って、まぁ、振り返らざるをえないのだけれど。
こないだ、夢を見た。こないだかい?あれね、
年は越してたけど、初夢だったかは思い出せない。
なにか、剣道関係の人たちに向かって、
「もう剣道は辞めていたから、ストレスにやられた、
剣道を続けていたならばあるいは」みたいなことを、
口走っていたような夢だった。それで、目覚めてから、
『あー、まだ、辞めたくなかったんだな、悔しかったんだな』
みたいなことを思って、ちょっと、スッキリした感じもあった。
仕事を続けていたら、みたいなことは、しばしば頭をよぎる。
よぎるが、毎度、「いやいや、しんどさが続いて、結局辞めるぜ」
という結論にたどり着く。この「毎度のプロセス」を、
あと何回か繰り返せば、落ち着くのかもしれない。
あるいは、夢に出たように「悔しさ」に血が出るほど唇かみしめて、
ようやく頭をよぎることがなくなるのかもしれない。
夢といえば、これは去年の12月のことだったか、
親父の夢を見た。実家にいて、長めの出張から帰った、
みたいなシチュエーションであったが、同時に、
亡くなったはずの親父が帰ってきた、みたいな、
微妙な気まずさのような感覚もあった。
あの夢を見て目覚めた朝も、どことなく、
何か気づきを得たような興奮を覚えて、
半日、ずっと嬉しい気分でいたのだった。
「よし、これでもうあとは回復してゆくのみ」
なんて拳をにぎったりもしたかもしれないが、
今の今まで忘れていたくらいだから、その程度だ。
その程度ではあるけれども、こうやって、
夢にかすかな希望を拾って、あたしのモヤモヤは、
解消してゆくのかもしれないね。
親父についての思い話は、これまた記事を改めて、
ぶわーっと、書き散らかしてみようかな、などと、
これは魚雷さんの本を読みながら、さっき、
頭に浮かんだのでここに書きとめておく。
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本を読んでいて、書かれていることに力を得て、
「あぁ、幸せなことよ」と思うことが、しばしばある。
ただそれだけでありがたいことで、十分なのであるが、
おせっかいにもそれをツイートしたり、記事に残したりする。
それが、将来の自分を励ますこともあるだろうし、
あわよくば、いつかの誰かを微笑ますことに、
なりますようにと、願ったりもする。
キモチ的なしんどさの底は、うったと思いたい。
今年は、よちよちとはばたく練習を、したい、
かげにひなたに、お見守りくださいまし。