問いかけを求めて
放課後、toi books さんに行ってきた。
地下鉄から地上に出ると、暑い。今までとは違うルートで、
トイさんを目指す。ビル前で看板を確認して、階段をのぼる。
廊下の本棚をチェックしてから、手の消毒。そして、入店。
他にお客さんはいない。「こんにちは」と口にしたものの、
名乗ることはできなかった。
磯上さんにきちんと挨拶できないまま、棚を見始めた。
もちろん、釘付けですよ。
一番下の棚を見るときにしっかりとしゃがみ込む姿勢を取るのが、
一日の労働に疲れた足に気持ちいい。
『中年の本棚』*1で気になった『たそがれたかこ』も発見。
新元良一の本、パラパラしていて、カーヴァーのところ、
グッとつかまれてしまった。棚に戻せなくなって、買うことに。
他のお客様もいたので会計してしれっと帰ろうとしたら、
磯上さんに「とりさん?」と見破られた。赤面。
半身を店外に出したまま、「いや、これは、その」
とわけのわからぬことばをもごもごして、退散。
購入。toi books。
新元良一『One author, One book ― 同時代文学の語り部たち』(本の雑誌社)
入江喜和『たそがれたかこ(1) (BE・LOVEコミックス)』(講談社)
入江喜和『たそがれたかこ(2) (BE・LOVEコミックス)』(講談社)
さすがにとほんさんでは真っ先に、スナガワさんに挨拶するけれど、
たとえば善行堂など、前回訪問から何年も間があいてしまうと、
挨拶するタイミングが難しい。何というか、自意識過剰なんだな。
「とりです」って言った後、『今、なんつった?呪文?』とか、
言われないかなー、とかね。どんな呪文さ。
磯上さんとは、前回訪問のときにやっとご挨拶できたのだが、
あれはコロナ以前だったんじゃなかったか。*2もはや、別世界、
別の時代のモノガタリですがな。覚えてくださっていて、
感激。(でも、すぐに帰っちゃった)
暑い中、心斎橋筋を歩きながら、こんな時代、こんな状況で、
せっかくtoi books を訪問しておきながら、磯上さんとおしゃべりせず、
いったい、お前はなんて罰当たりな野郎なんだ、もったいないことを、
という謎の呪詛が頭を駆け巡っていた。けれども僕は、実にゆっくり、
「はがれかけた仮面」をかぶりながら実にゆっくりと、トイさんの、
本棚散策をたんのうしたのでありました。これだって、これこそが、
toi books を訪れた甲斐があったってものじゃないんですか、脳内さん?
いや、本物の達人なら(←なにの達人?)、入店するなり名乗りをあげ、
世間話をすらりとかわし、旧交を温め、互いの無事を寿いだ後にそれでも、
じっくりと本棚を眺め、新刊、古本バランスよく、4、5冊も買って帰る、
なんて芸当が出来るんだと思いますよ。でもね、脳内さん?あたしは、
ただのとりですよ?「棚をたんのうする」ということを成し遂げるには、
もう、さえずることなく必死に羽ばたくことに集中せなあかんのです。
と、いうわけで、磯上さんとの今後のおつきあいの仕方に、
深刻な課題を背負ったままのわたしに、どなたかアドバイスをお願いします。
地下鉄の駅に戻っても良かったのだが、カーヴァーが気になって、
心斎橋筋を南下して、ぶを2軒攻めてみたが、空振り。ついでに、
文庫版の『語るに足る、ささやかな人生』*3も探してみたが、無かった。
代わりに、柴田元幸の現代新書が手に入った。
購入。ブックオフなんば戎橋店。
柴田元幸『アメリカ文学のレッスン (講談社現代新書)』(講談社)
帰宅して、なんとなく「アメリカ文学」とか、
「短編小説」とか、その辺の「のどがかわいて」しまったので、
本棚をあっちこっち見て回ったが、ピンとくるものがなかった。
『小説新潮3月臨時増刊』の「アメリカ青春小説特集」を見つけた。
イーサン・ケイニンの「頭の中で何かがかちんとなる」を読んだ。
翻訳は、柴田元幸。この雑誌、1989年の刊行で、広告とか、
いちいち面白い。『この髪型ww』とか。
ただふいに、トイさんの棚から手に取った一冊のおかげで、
ずいぶんと、いろいろ刺激をもらったものだな、と思う。
「海外文学」というか、アメリカ文学というか、翻訳とか、
記憶の中にしまいこまれていた「渇き」が刺激されて、
それはとても嬉しい出来事で、こういうのほんとうに、
助かる。なんていうか、意識がよみがえる。
また、本屋さんにいこうね。
家族が寝てしまった後、「 NHK 100分de名著」を見た。