演じると信じるの、あいだ。
妻子のお笑い番組動画試聴で目覚める。
このヒトたちはあたしが今日、本番なことを知らないのか。
本当は、あと30分くらい眠っていたかったのだが、
目をつぶったまま、お笑い芸人の声を聞いていた。
コンタクトを装着したり、着替えたり、
それなりにてきぱきと準備を進めるも、
いざ、家を出る段になって、いろいろメモした裏紙を見失い、
結局、それを見つけてから出発すると、8時の特急にギリギリだ。
いちおう、駅の売店でサンドイッチは買い求めて、
指定席へと腰をおろす。今日は、ウララトートではなく、
いつも仕事に行くときの肩掛け鞄と、リュックサックだった。
だからというわけでもないが、宇田さんへメールする気持ちもわかず、
ふと、今日の昼飯はどんなものを食べることになるのかが気になった。
ガラケーにてGめるの受信フォルダをまさぐれば、
フヅクエさんからの読書日記が届いている。読まない。
そして、大好きなセンパイからの励ましのメールをもう一度読む。
「寂寥感も楽しんで!」とある。演劇を知っているひとからのエールは、
やはり、絶妙なところを刺激してくれる。あいあーい、と微笑む。
9時過ぎ、島本駅で降りて、いつもの駅前の公園で少しばかり、
台詞をのどに通しておこうかと思いきや、ボーイスカウトやら、
老人たちの何かツアーのような行列が見えて、一瞬で、今日は、
公園リハーサルができないことを悟った。車中でようやく書き上げた、
来場者へのごあいさつをローソンでコピーする。はしっこが、いろいろと、
試しても試しても欠けてしまって、だいぶん、小銭を失った。
今回、特別に稽古を重ねることができたわけではないのだが、
去年や一昨年と違って、台本を再現することへの不安がほとんどなかった。
それは、不思議な落ち着きであった。油断、というのとも違ったと思う。
信頼、というと、少し近いような気もする。店の前に、稔さんを見つけた。
手をあげて、あいさつをした。おはようございます!
店長さんにもご挨拶。そして、ガチャガチャのきかいをごろごろと、
外に出すのを手伝った。「どうぞ、とりさんも準備してくださいね」と言われて、
さらばと店内に足を踏み入れた。すぐに、大好きな匂いが鼻から吸い込まれてきた。
なんという、幸福感。リュックサックをおろし、床に座りこみ、持ってきた、
あれこれを散らかしながら、気持ちを整えてゆく。
今回、3つほどの「演目」のかたまりを用意してきたのだが、
きちんとした台本として構成したのは3つ目だけで、1つ目は、
一応、流れはセリフに起こしてみたものの、できれば、
目の前にいるお客さんと、長谷川書店の空気と、
交感しながら組み立ててみたかった。
2つ目は、まったくの、出たとこ勝負だった。
そういうわけで、主に1つ目の「遊び」を楽しむための準備を、
持ってきた画用紙やらハーモニカやらネズミの人形を触りながら、
店内に、脳内に、はりめぐらせようと試みた。開店前の時間も、
3回めにして一番、ゆったり落ち着いて過ごせたようだった。
稔さんは稔さんで、店の外で呼び込みのぼりの書道をしてくれたりして、
ときどき、マスキングテープやはさみを借りるときにことばを交わす。
その、お互い、それぞれがするべきことをすすめていく感じが、
心地よかった。そして、10時過ぎ頃、予告されていた、
ときわ書房志津ステーションビル店*1の、日野店長の魂が届いた。
まさか、有形の、それも黄金に輝く魂が届くとは思っていなかったので、
「泣きたい!」と強く思った。涙は、しかし全くこみ上げてこなかった。
体の奥底から、喜びがわいてきた。そして、日野さんのあたたかさ、
優しさ、ありがたさなど、いろいろと頬いっぱいに、笑みとして、
顔面がはちきれそうなくらいに、浮かんできた。あざす!!!
もう今日は、これで帰ってもいいです。でも、帰らずに、
いただいた黄金の電報を稔さんに入り口に飾ってもらう。
11時前から、本を買いにきたお客さんが、稔さんや店長に、
いろいろと問い合わせしてくる声が聞こえてきた。そうそう、
この感じ。これこそが、「営業中の本屋さんで演劇をする」醍醐味だ。
そこに現われる人たちは、観客である人もいれば、本を買いに来ただけの人もいる。
この、路上感。本屋が路上であることを、こんな風に回りくどく、
演じながら味わい直すしかないのが、僕の心の貧しさなのか。
「本日のひとり芝居は中止となりました」と書いたホワイトボードや、
ネズミの人形などを児童書コーナーにセットして、自分は、
学習参考書や健康書の棚の前にある、座面のスポンジがはみ出た、
古い椅子に腰かけて、ハーモニカをふき始める。ど、み、そー。
てきとーに吹いてみれば、それは、さいたさいたチューリップ、
おもいのほか呼吸は苦しく、それでも、どみそを繰り返す。
少しずつ探りながら、けれど、先の方でどうにも、
思っている音が見つからなくって、それはそれで、
楽しく、自分のへたっぴな音を楽しみながら、
勝手に借りてきた娘のサングラス越しに、
店内を歩く人影が観客のそれかどうかをうかがう。
思いついて、チューリップのわからない音のつづきを、
「教えてください」と書いた紙を座っていた椅子に乗せておく。
おまもりに持ってきた、きだにやすのり『ずこうことばでかんがえる』を、
置いておいた椅子から手に取り、ひとつ、読む。にっこりしてみる。
「中止になりました」ホワイトボードを、児童書コーナーから、
コミック棚、海外文学棚、文庫棚を経由して、さっきの椅子へ、
移動させる。ことばあそび「あんじるあいうえお」を、舌で転がして、
なんとなく、開演することに、する。いんじる、うんじる、演じる!
ときどきベルを鳴らしながら、演じると信じるのあいだを、
行ったり来たり、言ったり見たりしながら、さっさと、
まぼろしの血しぶきをあげて、1つ目を終わりにする。
ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら、2つ目は、店の外へ。
やや、あっけにとられている風の皆さんを置いて、店の外へ。
やぁ、はせしょの外の、小学館の回転什器、今日もよろしく!
行き交う人や、黄金の魂に勇気をもらいながら、まさかの、
太陽戦隊サンバルカンのテーマを熱唱するという着地。
おまわりさんが来る前に、店内に戻りましょう、
そうしましょう。口紅をぬぐって、さて、
3つ目の、令和41年のお話を。
終演後、恒例の、はがき押しつけ行為。
少年少女に渡すことに成功、これは楽しみだ。
時間がなくって、2枚しか作ってきておらず、
他の方にお渡しできなかったのが、無念。
今回は、お客さんが加わることはなく、
稔さんと、ふたりで昼食。11時の回を振り返りつつ、
正直、どんな話をしたのだったか。創作ノートを見てもらったのは、
覚えている。あとは、ぼくが拾えきれていなかった、
お客さんの様子を教わったりしていたのだったか。
はせしょに戻ると、思いがけず、3時の回までだいぶ時間があった。
稔さんは、「本屋のしごと」を始めた。ぼくは、「本屋のお客」を始めた。
児島宏子『チェーホフさん、ごめんなさい!』(未知谷)も気になる。
午前中に仕掛けた自分の罠に自ら首をさしだして、詩を書いてみたりもした。
詩の本と、海外文学の本がある棚を上から下まで眺めながら、
この幸福感の、儚さを思って悶絶した。
店を出て、バスロータリーの方からはせしょの外観を眺めたり、
ローソンではがきを買い足して、押しつけ用はがきを書いたりして、
気がつけば、もう3時がやってきていた。店内に、お客さんがいっぱいだ。
先ほどの椅子に置いた紙には、チューリップの音階が書き足されていた。
その通りに吹いてみると、なるほど、へたっぴなハーモニカでも、
チューリップのうたが演奏できたような気分になった。やった。
嬉しくて、また椅子に座ってチューリップを吹いたり、
健康書のタイトルを音読したりしていると、稔さんが、
「ちょっとごめん」と言って、お客さんを案内してきた。
何人か、見知った顔が見えた。おぉ、あの人も、この人も。
店内は、混みあっていて、児童書コーナーには座りこんで、
熱心に本を読んでいる少年の姿があった。ホワイトボードを移動し、
戻ってきても、少年はずっと読んでいて、はっきり言って、
ひとり芝居なんてやってはならない状況であった。
ぼくは、その状況を密かに楽しみ、なんとか、この少年が本を読み続けたままで、
1つ目を始めて、終わらせてやれないものか、と思った。あんじるあいうえおは、
だから、確か、占い本の前あたりで、ぶつぶつとつぶやくように始まった。
アシタアサッテのくだりでは、向かうべき立ち位置にお客さんが来て、
ぼくは、少しだけずれたところに立ち直すことになった。そういう、
立てる場所が限定されていることがとても心地よく、3時の回で、
ぼくは少しずつ、確実に調子に乗っていった。午前中に、
のどをつぶしていたのも作用していたのかもしれない。
さっき作ったばかりの「詩」さえ読みあげてしまった。
あとで振り返ってみれば、ちょっと嫌な感じすら覚えるほど、
由来不明の、ふてぶてしいしゃべり方で11時の回との違いを強調し、
店の外で、11時の回の幻影に翻弄され、酸欠になり、ふらふらと、
店内に戻って、センパイに予言されていた「寂寥感」に取りつかれてしまった。
なんということだろう、ひとり芝居と関係のない、
世間話のようなものが口をついて出てくるばかりで、
いっこうに、3つ目をやろうという気にならないのであった。
ただただ、終わってしまうのを惜しんでいる、みっともない時間であった。
えいや、っと始めてすぐに台詞を見失って、やり直しするほどにも、
粘度の高い未練であった。
終演後、来てくれた友人と、話をした。
何を話しても、空回りをしているようで、苦しく、
けれど、目の前にいる人と自分とのあいだになにか、
つながりをとどめておきたくてことばをついでしまった。
それもまた、未練であった。ひとり、またひとりと、
お客さんは帰ってゆき、皮膚のあちらこちらに、
「取り残されたような感覚」が浮き上がった。
けれどそこでまたひとつ、
嬉しいこともあった。
ひとりのご婦人に、料理の雑誌のようなもののありかを訊ねられたのだ。
「えーっと、こっちのほうですかね」と言って先を歩きながら、
耳のまわりで稔さんや岡ちゃんの様子をさぐる。
近くにいないようだ。おそらくは、ぼくを、
店の人だと思ってくれているだろうご婦人の、
返答を聞きながら何を探しているのかを、さぐる。
たまねぎのふろく、月刊誌。あれやこれや言いながら、
ようやく、これだろうという雑誌にたどり着いて、その人は、
レジへと向かってくれたようだった。ぼくの左胸には、バッジが、
「いわた」と「チャンポンズ」のふたつのバッジがついたままだった。
きちんと挨拶できた人もいれば、いつの間にか、
帰ってしまった人もいた。ひとつひとつ、道具を集めながら、
いくつかのきれはしを、稔さんに託したりもした。帰り支度がととのってから、
今日、連れて帰る本を選び始めた。1冊、もう1冊。例の、3冊病のせいで、
あと1冊を求めてしまってからが、長かった。いつもは見ない、コミックも、
かなりじっくりと見てしまった。結局、2冊、レジの岡ちゃんに差しだした。
その後、ふいに子どもたちにおみやげを買いたくなって、もう1冊?、
買った。それならば妻にも買わねばならぬ、と、コーヒー豆も買った。
購入。長谷川書店水無瀬駅前店。
斉藤倫、高野文子『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集 (福音館創作童話シリーズ)』(福音館書店)
馬場のぼる『11ぴきのねこ すごろく ([すごろく])』(こぐま社)
打ち上げは、隣りのカレー屋さんだった。
しみるほどに美味いカレーだった。ビールも美味かった。
岡ちゃんと、おくむらさんと、いろいろと言ってもらって、
ぼくもあれこれと言いながら、稔さんの顔色をうかがっているようだった。
雨が降りだしていた。
ここでいいです、というようなことを言っても、
みんな、島本駅まで送ってくれた。
電車が来た。来てしまった。
信じるも演じるもなく、
ただ運ばれていった。
ご来場、ご声援いただいた皆さま、ほんとうにありがとうございました。
電報、差し入れ、リツイート、「梅雨入りはまだよ」の掛け声も、
ほんとうに嬉しかったです。ありがとうございました。
長谷川書店のみなさん、水無瀬のみなさん、
ありがとうございました。
またいつか、本屋さんでお目にかかりましょう。
「演じると信じるの、あいだ とり、またまたはせしょでひとり芝居」
日時:2019年6月23日(日)11時、15時
場所:長谷川書店水無瀬駅前店(大阪府三島郡島本町水無瀬1-708-8)
料金:無料