何も見えなくて、夏

八郎 (日本傑作絵本シリーズ)


あれもこれもと大きなリュックに詰め込み、
家を飛び出す。今年は、あの鉄なべは持っていないけれど、
駅までは、走らない。走れない。走らなくても、間に合う。
それなりの緊張感をキープしたまま、特急券を買う。


特急の中ではあの人に、「これからひとり芝居です」というメールを、
送ろうかと思っていたのだが、我慢できずに前の日に送ってしまったから、
台本を確認したり、なんだり、この後のことに思いをはせる。


僕が、「ほんとうに届けたいひと」は多分、観に来れないだろう。
あの人に、あの人に、とノートに名前を書き連ねてみる。
けれどそのひとに届けたいふるまいを、
目の前にいるひとに差し出すことで、
いつか、何らかのかたちで、
届きそうな気がする。


建前、きれいごと、とは、違う。
スピリチュアルなあれとも、違うと思いたい。
何と言ったらいいのか、うまく言えないが、まぁ、
うまく言えなくてもいい。自分を、燃やすことができたら、
それでいいのだ。


9時過ぎに、島本駅に着く。
すると、大学の先輩からメールが届いた。
今の、自分の思いを、驚くほどにくみとってくれている、
タイミングの良すぎる文面に、腰を抜かす。さっき、
ノートに名前を書いたひとりが、この先輩だった。


「ほんとうに届けたいひと」に、
開演前に届いてしまっていた。大きく息を吐いて、
去年と同じように、駅前の公園へと足を踏み入れる。
去年と同じように、あまり大きな声を出せないまま、
台詞をのどになじませる。


ローソンで、常温のお茶を買って、
はせしょへと向かう。おはようございます。
ドアのガラス面ではないところに指をかけて、
ぐぐっと開いて、まだ暗い店内へと足を踏み入れる。


長谷川さんが準備を始めてくれていた。
こちらも、急いでとりかかる。習字をする。
小道具を並べる。店長にもごあいさつ。少しずつ、
エンジンが温まってゆく。時間もするする過ぎてゆく。


10時くらいには開店する、と言っていたのだが、
おそらくは僕の準備が間に合っていなかったからだろう、
11時になってから、シャッターをあげることになってしまった。


そうして、シャッターの向こうには、見覚えのある笑顔。
あらあら、もう開演時間になってしまっている。


「シャッターがあがったらお芝居が始まるのかと思ってました」
「ら、来年はそのアイデアを使わせていただきます!」


小学生くらいの女の子がお母さんとやってきた。
なんとなく、ひとり芝居のお客さんのような気がして、
ご挨拶。ふたりがお店に入っていったあとで、
hmさんだったことに気がついた。マジか。
お嬢さんの方に気を取られていた。


台本にあるセリフを、設定を、
演じ始めたときがひとつの「開演」ではあるのだけれど、
やはり、もうずっとずっと前からこの「ひとり芝居」は始まっている気がしていて、
お客さんが「もう始まってるの?いつ始まるの?」とニコニコそわそわしているのを、
こちらもニヤニヤしながら受け流し、店頭に貼り紙をつけたりして時間が過ぎる。
「<危険> この芝居には はじまり も おわり も ありません」


自分の中に、お店の中に、見えない潮が満ちたころ、
絵本売り場の一角に置いた台の上に立って、「開演」した。
日常と非日常、現実と虚構を行ったり来たりしながら、
読書の害について、はせしょの魅力について、
ドカベンについて、わめきたてる。


絵本を朗読する。


箱に入る。何も見えない。
ベルを鳴らしてもらう。箱にらくがきをしてもらう。
話し声が聞こえる。レジの音も聞こえる。


終わったような終わっていないような、
波打ち際の感覚を長いこと楽しんでいた。


長谷川さんたちとお昼ごはんを食べにいく。
ひとり芝居を観に来てくれていたお客さんもひとり、
一緒に食べに行った。彼は、僕がまだ東京にいた頃の、
このブログを読んでいたそうだ。長く続けていると、
(そしてこんな酔狂なひとり芝居を実行すると)
そういう出会いが生じることもあるのだと、
しみじみ、嬉しい気持ちになる。


かなりおなかをふくらませて、
もうふたしごとくらい片づけてしまった虚脱感もありつつ、
お店へと戻る。午後の部の時間も迫ってきている。
なんとなく手持ち無沙汰で、開演前から箱入り。
絵本売り場に父娘がやってきてしまい、
箱から出にくくなってしまった。


開演時間を過ぎていたか、ようやく箱から出て店内をうろつくと、
トリイ氏の姿を見つけた。心なしか、巨大化したような気がする。
軽口を叩きながら、潮が満ちるのを待つ。午前中よりも、
だいぶん長い時間をかけてから、「開演」となる。


3人の子どもたちからの影響を多分に受けて、
午後の回は、例によって、大きく軌道を外れてゆく。
途中で、K氏が現れた。それもまた、僕を揺さぶったことだろう。
ゆらゆらふらふらと低空飛行を楽しみながら、
ほんの少しの時間だけ、箱に入った。


子どもたちが、箱にいろいろ、らくがきしてくれた。
ベルも鳴らしてくれた。ベルをありがとうございます。
今年は、はがきもたくさん配ることができた。うれしい。
K氏に、くるっていると言ってもらえて、とてもうれしい。


少しずつ、「お客さん」が帰っていく。
ひとり芝居を観てくれた「お客さん」がいなくなってしまうと、
僕はただの中年男性に戻ってしまう。演劇の終わりは、
お客さんの「完パケ」にあるのだろうか。


名残惜しさに、再び箱に入ってみる。ベルの音がする。
「ベルをありがとうございます!」と返事をする。
芝居のたたみ方を見失ってしまった。箱の外ではまた、
本を選ぶ父娘の声がしている。さっきの人とは、
また違うふたりのようだ。はじまりも、
おわりもない。長谷川書店で続く、
幸せな時間。


まだ、トリイ氏が店に残っていた。ダラダラと、
トリイ氏とおしゃべりをしたりする。ときどき店長が通りかかって、
「ま、まだいたの!?」という反応をされてしまう。すみません。


購入。長谷川書店水無瀬駅前店。
村上慧家をせおって歩く (月刊たくさんのふしぎ2016年3月号)』(福音館書店


日も暮れかかってきたころ、ようやく店を出て、
トリイ氏と一緒に差し入れをいただく。
店頭に掲示してあったひとり芝居の貼り紙が、
かろうじて、今日の余熱を残している。


のどが少し、痛い。頭も少し痛くなってきた。
去年ほどの疲労は感じていないけれど、それでも。
打ち上げで、いろいろな話題が頭の上を飛び交う。
人生が明滅している。本屋さんの、ゆくえ。


僕がどうして、
ほとんど毎日本屋さんにゆくのか、は、
まだ、わからない。


駅まで、みんなに送ってもらう。
乗りたい電車が、迫っていたので、
別れの挨拶もそぞろに、エスカレーターをのぼってゆく。
振り向くと、ちらっと、長谷川さんたちが見えた気がした。


ご来場、ご声援、ありがとうございました。
長谷川書店のみなさん、水無瀬のみなさん、ありがとうございました。


またいつか、本屋さんでお目にかかりましょう。


「何も見えなくて、夏 とり、ふたたびはせしょでひとり芝居」
日時:8月19日(日)11時、15時
場所:長谷川書店水無瀬駅前店(大阪府三島郡島本町水無瀬1-708-8)
料金:無料