ゆうべ、弁当箱のひとつにごはんだけ詰められて、
けさ、「忘れるな」とわざわざ念を押されては置いていけず、
もうひとつにもごはんと冷凍してあった鮭とかを詰め込んで、
駅まで小走る。土曜日の少しだけ早い電車に飛び乗る。
車中のとも。
前川恒雄『移動図書館ひまわり号』(夏葉社)
TLも追わずに、一心に読み進める。
読み進めた勢いを体に感じながら電車を降りる。
店へと向かう道すがら、どんどん熱は冷めていき、
頭ばかりが焦りを感じている。私は誰かの邪魔をしていないだろうか。
購入。
梅田悟司『「言葉にできる」は武器になる。』(日本経済新聞出版社)
今日も早めに退勤できた。
帰りの電車で、残り少ないページを惜しまず読んでゆく。
車中のとも。
前川恒雄『移動図書館ひまわり号』(夏葉社)
中央図書館の建設のくだりに、胸が熱くなる。
仕事人同士の真剣勝負に、呼吸が止まる
「図書館の本質」(p.238)に、深くため息をつく。
電車を降りて、ホームを歩きながら階段を上りながら、
文字を目で飲みこんでいく。視界の端でベンチの位置をとらえ、
そちらの方に向かって歩きつつまだ読み進む。だいたいそこが、
244頁のあたまくらいだった。
ベンチに座って、「これからの日本の図書館を考えるとき」、
と読んでいく。この本はたしか、復刊した本であるから、
おおもとの本は何十年も前に書かれているはずだ。
それからの日本の図書館は、どうだったのだろうか。
「今では考えられもしないような困難の中で一つ一つ敷石を置き、
無言で立ち去った人たち」のことを思う。私は敷石を置いてきただろうか。
われわれは、カウンターで市民と格闘しなければならない。その格闘から学ぶことによってのみ、正しい理論と信念をみずからのものにしうるからである。そのためには、学ぶにたる現場を意識的に作ってゆく営みが必要である。(p.244-245)
あとがきを読む。
1987年12月。30年近く前か。
続いて、「復刊に際して」とある。
そう、こないだ島田さんの講演でも話題に出たが、
前川氏は今なお、「カウンターに立ちたい」とおっしゃっているそうじゃないか。
感謝のことばに胸がいっぱいになるとともに、
現在の図書館に対する懸念に気持ちが引き締まる。
日野図書館の、前川恒雄の格闘を読んできたところに「指定管理者制度」とぶつけられて、
ようやく、今の自分の置かれている立場とこれまで読んできた「歴史」が地続きであることに気づく。
うかつだ。
最後の一行、島田潤一郎氏への謝辞は、唐突にも思える。
けれど、夏葉社がこの本を復刊しなければ、ひまわり号の軌跡を読む機会は巡ってこなかったのではないか。
「心からの感謝の念」というのは、勝手な言い分ではあるが、前川氏のこころに浮かんだことばではなく、
読者である私のことばだったのではないだろうか。私のことばがさも前川氏のことばのように、
さいごのさいごに突然、印刷されたことばとして現れたから唐突に感じたのではないだろうか。
読了。
前川恒雄『移動図書館ひまわり号』(夏葉社)
ちょっとしばらくこのベンチから立ち上がりたくない、と思った。
そのようにツイッターに書き込みをした。そうして次の瞬間には、
最新のタイムラインを追いかけはじめそうになっていた。
苦々しい気持ちでケータイを閉じて、前方の売店に目をやった。
何やら家族連れらしき人たちがベンチの周りにやってきたので、
席を立って改札へ向かった。歩きながら私はまたケータイを開いていた。
島田さんへダイレクトメッセージを送ってから啓林堂書店へと入ってゆく。
「日常生活で足を運べる本屋で買った」というのを達成したいと思っていたのだ。
心当たりがすべて空振りに終わったので、意地になっていたのかもしれない。
あとは追加補充に期待するしかない、となると頼みはやはり啓林堂書店だ。
けれどもやはり今日も無い。文庫新刊の補充はされていないのか、
と思ってふと、補充分は文庫新刊棚でなくて元棚にあるのでは、
と推測、ちくま文庫・ちくま学芸文庫の棚にて捕捉した。満足。
訳者あとがきを読む。けっこう長い、と気づくがもう遅い。
ぜんぶ読む。文庫版訳者あとがきも読む。「ツイッター」の文字がある。
購入。啓林堂書店奈良店。
ピエール・バイヤール、大浦康介『読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)』(筑摩書房)
島田さんから、メッセージが返ってきていた。
それを読んで、「僕が書いた文章を読んで、ひとりでもこの本を買ってくれたらなぁ」
と、思った。そう思って書いた文章がここまであなたが読んできた文章です。
おそまつ。
こちらは、Title 辻山さんの紹介するひまわり号。あなたの中に種を蒔こう。
https://title-books.stores.jp/items/57aef2cda458c087ed005d32