Title と再会と再訪と

東京


昨日、どの本を持っていこうか考えながら皿を洗ったりしていて、
なんとなく感傷旅行になりそうな雰囲気もあって、風の歌か、
キャッチャー・イン・ザ・ライか、サンデーくんのお話か。
歯を磨いたり、子どもをあやしたりしながら、
本棚の前を行ったり来たり。そのくせ、
隙をついてこちらを読み干したり。


読了。ゆうべ。
村上春樹若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)』(文藝春秋


すっきりして、新しい本を選べる。
短編小説案内にもあった、庄野潤三の名前にも助けられて、
オカタケ師匠の文庫を手に取った。「読む(飲む)前の注意書き」を読む。
「最初から順に読んでくださってもいいが、電車の中やカフェの席で、任意に開いたページから読んでくださるのもいい」
よし、心強い。これだこれだと、鞄に入れた。


そういうわけで、月末の女性誌大量入荷をおっぽりだし、
幼児をひとり連れて、東京へ逃避行。熱心に絵を描く姿を横目に、
本を読みたい気持ちをぐっとこらえる。とにかく機嫌を損ねないように。
名古屋のあとの長い静岡突破をなんとか乗り越えて、新横浜を過ぎれば、
もう少し、あと少し、と言っている間に東京だ。


娘の目の奥の揺らぎに気づかないふりをして、
迎えに来てくれた母にゆだねる。有人改札を出て、戻る。
中央線のホームへと続く長いエスカレーターをのぼる。
左肩のあたりにまだ、緊張感が残る。しばらくは、
自分の心配だけをしていればいいんですよ。


車中のとも。
岡崎武志読書で見つけた こころに効く「名言・名セリフ」 (知恵の森文庫)』(光文社)


任意に開いたページから、というおすすめもあったが、
ぼくはどうしても頭から順番に読んでしまう。最初の章は、
「人生の壁にぶつかったと感じたら」とある。読む前には、
『今は特にぶつかってないけどな』と思ったが、どうしてどうして、
すごく励まされて沁みてくるではないか。・・・ぶつかってんのか?

落ち込んでいるときこそ、無理矢理でも何かを口に入れること。これを実行できる人は強い。(p.14)


荻窪で、電車を降りる。とてつもなく久しぶりだ。
改札が地下部分にあるとか、駅の構造も忘れていた。
地上に出ると、そのあたりの感覚はなんとなく残っていて、
通りの向こうにブックオフを確認する。まだあったのか。
けれども今は、行くべきところがある。青梅街道の左側を、
環八の方へと歩いていく。店を開けたばかりの象のあしを通りすぎる。
この店も、まだあったのか。自分の知っているお店はことごとく閉店したような、
ウラシマ気取りの心を抱えて歩く。財布の中身が心細いな、と思っていたら、
おあつらえむきにUFJのATMを発見。すでに通りを渡っていたぼくは、
もう一度、青梅街道の左側へと渡り直す。そうして、文庫版の地図で、
目指す本屋さん*1の位置をなんとなく確認して、さらに進む。
すると、道の向こう側に、街路樹のかげに、見つけた。





緑の中に隠れるようにある青い看板を見ただけで、
もう胸がいっぱいになってしまったぼくは、信号が変わるまでの間、
ずっとお店の方を見ていた。ようやく通りを渡ると、店に近づく。
女性がひとり、お店に入っていった。おお!お店に人が入っていった!
自分以外のお客さんが、ぼくの前にお店に入っていくのを見るのが好きだ。


外からガラス越しに飾り本が見える。ぼくも店に入った。
ちくま文庫の背表紙のかたまりと辻山さんのお姿を横目でちら見して、
まずは食事。うわさのフレンチトーストとコーヒーをお願いする。
深煎りと浅煎りとを選べるとのことだったが、正直、
違いが分からない。なんとなく、深煎りにしてみた。
ぼくの座っている席の壁には、植田真の小さな絵がある。
カウンター状の席にもふたり、僕の右側の席にもひとり。
それぞれ、単独行のひとびとが、思い思いに本を読んだり、
何かを飲んだりしている。カウンターの中には女性がふたり、
言葉を交わしながら、緊張感を持っててきぱきと立ち働いている。


急速に、幸福感がこみあげてきた。参った。間違いない。
この店は間違いない。この町に住めないなら、わざわざ訪ねてきたらいい。
半年に一度でもいい、来たらいい。深煎りと浅煎りとの違いは知らない。
でも、こんなにも丁寧にメニューの説明をしてくれるスタッフさんと、
隔離されたこの喫茶空間と、小さな絵が迎えてくれるのだ。
まだ本棚はちっとも見ていないけれど、間違いないんだ。


幸福感に窒息しそうになりながら、やってきたフレンチトーストを食べる。
美味い。『ほうらみろ、ほうらみろ』と、初代のび太くんの声がはやしたてる。
オカタケ師匠の本を開く。アポロ13号の話、気になる。すぐに本を閉じる。
コーヒーも美味い。深いも浅いもとんと分からないが、とても美味しく感じる。
喫茶が良すぎて、ぜんぜん本棚の方に行けない自分がいる。


先に食べ終わった人が、本棚のほうへ行ってお会計をしている声が聞こえた。
ははぁ、支払いは、本屋さんのレジカウンターでするわけか。
すると本棚に向かう前に辻山さんにご挨拶せねばならないのか。
本棚を見ている間は匿名人物として徘徊したいなーなどという自意識はしかし、
淡々とした辻山さんの接客に行方を見失った。とりあえず、ご挨拶は、後回し。


まずは、先ほど目の端に入れておいたちくま文庫の黄色い背表紙に向かう。
思っていたよりは、少ない。でも、この広さ、このスペースにしては、十分か。
というより、佐野洋子がいっぱいあるじゃないか。このお店は、古本屋さんではない。
つまり、辻山さんが自分で「これを置こう」と思って置いている本しかないのだ。
担当が何人もで手分けしているお店でもない。個人店。個人の新刊書店。
うわー、っとまたもや何かがこみあげてきたとき、ふっと振り向いてそこに、
岩波文庫の小さなかたまりを見つけた。『お、岩波文庫と言えば、今、私には探している本が・・・』
という脳内の台詞の途中でそのタイトルが目に飛び込んできた。飛び込んできて眼球を粉々に砕いたようだった。


「ペ、ペドロ?ペドロ・パラモ?」


ベニヤさんとか、鶴橋のブックオフとか、数件の本屋さんで見つからなかっただけで、
実際、どれほど珍しいのか、珍しくないのかは分からない。けれどもほんの少しの岩波文庫の並びに、
辻山さんが選んだであろうこいつがぼくを待っていたのだから、心臓が口から飛び出してもおかしくなかった。
ドキドキしたまま、他の棚をぐるりと回る。雑誌もある。幼年誌もある。暮らしの本があり、絵本がある。
SPIの本や、学参まである。さすがに単語の本が数冊、といった体ではあるが、それでも。
『ザ・ゴール』とかもある。人文書の、古典みたいなすごげな単行本もちゃんと並んでいる。
その中に、『ペドロ・パラモ』も並んでいる。辻山さんが、電話対応をしている。
道に迷っているお客さんがいるみたいだ。この人が、本を仕入れているのだ。


ひと通り、一階を堪能すると、急な階段をのぼって二階へと行ってみた。
写真家・一之瀬ちひろの展示「日常と憲法 −PARIS2015/11/13-TOKYO2016−」が開催中。
劇団ままごと柴幸男による戯曲「あたらしい憲法のはなし」も、ぜんぶ読んでしまった。
面白い。好きな憲法の条文を書いて持って帰ってください、とのことだったので、
冊子に書いてあった24条を書いてみた。鉛筆で文字を書くのは、どきどきする。


何を買おうか、迷う。二階の展示も良かったし、Title Blue のトートバッグも気になるし、
いやいや、まずは「本」を買わなきゃでしょ、『ペドロ』は連れて行くとして、
そうだ、あの人にプレゼントするものを選ぼうと思ってたのだ、どうだ、
などと頭の中がわちゃわちゃになってきて、3冊、選びました。


購入。Title。
フアン・ルルフォ杉山晃増田義郎ペドロ・パラモ (岩波文庫)』(岩波書店
若松英輔若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』(ナナロク社)
『これからの本屋』(書肆汽水域)
植田真『旅路の音楽』(silentphase B)


『旅路の音楽』の中の一枚が、カフェに飾ってあった絵だ。
お会計のとき、今度は辻山さんに声をかけていただいた。
ワールドエンズガーデンのイベントで、たった一度ご挨拶したきりなのに。
まろやかな辻山さんの声に送られて、明るい陽射しの輝く青梅街道に出てきた。


素晴らしいお店でした。
また来ます。


象のあしを覗いてみる。ペドロ・パラモは置いてなかった。安心。
ブックオフも覗いてみる。ペドロ・パラモは置いてなかった。安心。


佐野洋子があった。そう言えば、辻山さんのとこでは買わなかった。
おふくろに、おみやげだ。古本屋で佐野洋子があったら、おふくろ用に買うことにしている。
ガラケーには、おふくろに渡し済みのタイトルを保存してある。これはまだ、読んでいないはずだ。


購入。ブックオフ荻窪駅北口店。
佐野洋子問題があります (ちくま文庫)』(筑摩書房


駅へと戻り、改札の前を通りすぎ、再び地上へ。
線路沿いに古本屋さんを覗いて歩く。


岩森書店、ささま書店、どちらにもペドロ・パラモは置いてなかった。安心。
いや、ささま書店の均一棚ではなんとか1冊かじりつきたかったのだが、歯が立たなかった。残念。
南側に出てみて初めて、こちら側にも思い出があることを思い出した。その思い出を訪ねるほどには、
ぼくの感傷は育っていないようだったので、さっさと駅に引き返す。ICOCAで改札に入る。
そういう世界をぼくは生きているのだった。2016年の6月27日だ。


車中のとも。
岡崎武志読書で見つけた こころに効く「名言・名セリフ」 (知恵の森文庫)』(光文社)

ある雨の翌日、友人と二人、そのぬかるんだ土と水をこねて、水路を作り、永久に水が回遊する装置を作ろうと思いついた。昼休みの時間に始めたその遊びに、知らず知らず熱中し、授業開始のベルも、校庭から生徒がいなくなったこともまったく気づかなかった。(p.73)


乗換案内に従って、新宿から山手線でなく、逗子行きの湘南新宿ラインに乗り換える。
途中、原宿あたりで見えた生い茂る樹木が気になって、文庫地図を開いて確認する。
明治神宮か代々木公園かどっちかだと思ったら、隣り合っているのね。
で、樹木はたぶん、明治神宮の敷地だ。地図は2007年5版10刷*2
本屋はなくなっても、明治神宮はなくならない。


新南口に出てしまった。案外、距離のあるところに放り出されたな。
ちょっと迷っていたが、今夜のライブの予習をすることにする。


まちあるきのとも。
サニーデイ・サービス東京』(ミディ)


宮益坂をのぼる。青山ブックセンター本店をめざす。
途中、古本屋さんを覗く。ペドロ・パラモが置いてあった。乱心。


中村書店さんに、あります。ペドロ読みたい方、お急ぎください!
(ぼくは買わなかった)


こどもの城の横を通りすぎる。そういえばここも閉館したのだった。
なんとなく不気味な建物に一瞬、近づきかけたが、すぐに本屋へと向かうことにした。
青山ブックセンター本店も、久しぶりだ。エスカレーターをぐんぐんおりていく。
入ってすぐの新刊台・フェアコーナーをぐるりと眺める。なんというか、
「金、持ってんな!」という思いが湧いてくる。なんだろうか、
お金を使ってくれるお客さんがたくさんいるんだろうな、
という印象がふーっと心に浮かんできた。
梅田の横綱の棚を眺めているのとはまた、違った印象。
店内をぶらぶらしているうちに、以前より売り場が縮小されていることに気づく。
そういえば、改装するってツイッターで言ってたっけ。あれはいつのことだろうか。


早い段階で、『BOOKMARK 4号』を見つけたので、のんびりと回る。
勝手に『BOOKMARK』のフェアがやってるはずだと決めつけて探すが、見つからない。
そうこうしているうちに、小島信夫の並びに夏葉社の『レンブラントの帽子』*3を見つけた。
なぜ?と思った途端、あ、背表紙に小島信夫!うかつであった。


『ラヴ・レター』*4の著者も小島信夫?全然、分かっていなかった。
全く小島信夫に興味がなかったことがうかがわれますな。保坂和志小島信夫の並びを見ながら、
なんというか、自分の知識というか記憶の粗さに恥ずかしい思いがした。
「東京はお客さんがいっぱいいていいなー」などという罰当たりな感想を、
ポケットの中で細かくちぎって誰にも見つからないようにしなくては、と思った。
そのくせ、その罰当たりな感想を大声で吹聴してまわりたくて仕方がなかった。くちびるをゆがめる。


購入。青山ブックセンター本店。
小島信夫アメリカン・スクール (新潮文庫)』(新潮社)


再び、宮益坂をおりて、ハチ公前交差点を渡り、センター街を進む。
記憶の中の、こっちらへん、という方向に進んでいけば、
案外、間違わずに行けるものだ。もちろん、
行けない場所もあるんだろうけれど、
ここにはストレスなくたどり着いた。


パルコ。
従業員入り口か、と心配になるような階段を降りて、
占い師のブースのわきの入り口から建物に入る。
だいたい、ぼくはここから入った。記憶がよみがえる。
8年前に、『小説修業』*5を買ったころの感じも、思い出した気がする。
見慣れない、P-BC のロゴがあちこちにある。
僕が知っているのは、まだリブロだった頃か。
あるいはその前のP-BC の頃にも来たことがあるはず。


「詩人・最果タヒさんが選ぶ『夜よりも静かな喪失のために、用意したい本』フェア」で、
探していた本が並んでいたので購入。


購入。パルコブックセンター渋谷店。
吉野朔実記憶の技法 (小学館文庫 (よE-19))』(小学館


さて、これでひとまず、想定していた本屋さん巡りは一段落。
待ち合わせの前にライブ会場を確認しておこう、渋谷クアトロ。
ええ、ご存知の方は、ご存知。ブックオフのそばですね。
そばというか、同じビルなんですね、ぼくは今日、
知りました。はい、いちおう、ブックオフ
ちらっと見ましたよ。へとへとでしたので、
まったくなにも引っかかってこなかった。


そうして、へとへとのまま、喫茶店に飛び込んで、
メニューを見て、ギョッとする。高い!スパゲッティ―が千円くらいなので、
普通のお店かと思ったら、珈琲も千円くらいするじゃないか。待ち合わせで、
と言ったくせに、そそくさとオムライスを平らげて店を出る。
地下鉄の構内まで戻って、重たい本たちをロッカーに預ける。
先輩から連絡が来て、再び、ブックオフの方へと向かう。


さっきのお店の並びの、別のお店に入って、
ライブまでのわずかな時間、旧交を温める。
「東京再訪コンサート」のことを羨ましがってもらう。
結婚のお祝いに本を贈る。24条の書きうつしの紙も挟んで渡す。
家から持ってきた、ゆっくり読むの冊子も挟んで渡す。


先輩とこうして話すのは本当に久しぶりだった。
芝居の話、本の話、お互いの現在の暮らし、予想はしていたが、
あまりにもあっという間に時間が過ぎてしまった。開演が迫っていたので、
泣く泣くお別れ。先輩はブックオフに、ぼくはクアトロに。


ひとりでスタンディング、というのは、実は初めてで、
ちょっとひるんでいるところもあったのだ。
でも、先輩とおしゃべりして高揚していたぼくは、
ぜんぜんへいちゃらで飲み終えたビールのプラスチックカップを、
鞄に押し込んで必死に背伸びをしたり、割り込んできたカップルを威嚇したりしていた。
ライブは、実に良かった。参った。


サニーデイ・サービス『東京』20周年記念コンサート "東京再訪" 追加公演> @東京 渋谷 CLUB QUATTRO
http://www.sokabekeiichi.com/livedate/2016/06/20_club_quattro.html


セットリスト:http://www.sokabekeiichi.com/news/2016/06/_liveup6276_27_20_club_quattro.html


01 東京
02 恋におちたら
03 会いたかった少女
04 もういいかい
05 あじさい
06 青春狂走曲
07 恋色の街角
08 真赤な太陽
09 いろんなことに夢中になったり飽きたり
10 きれいだね
11 ダーリン
12 コーヒーと恋愛

encore
01 いつもだれかに
02 空飛ぶサーカス
03 スロウライダー
04 今日を生きよう
05 江ノ島
06 御機嫌いかが?
07 さよなら!街の恋人たち
08 NOW
09 胸いっぱい
encore 2 夢見るようなくちびるに
encore 3 サマー・ソルジャー


からだはもうくたくたで限界であった。
けれどもまだ、どこにも帰りたくなかった。
ロッカーに向かう途中に本屋さんがあった。
さっきも、通りすぎた本屋さん*6だ。しばらく、
そこを回遊した。何かが回復すると信じて。


追記:
10年前にしびれていた日の記事:http://d.hatena.ne.jp/tori810/20061107