正気を保ちたく、話しかける。

とりです。

 

ツイッターばかりもてあそび、

2019年の5冊を振り返りたいと思いつつ、

はてなブログを放置し続ける日々。

 

そうこうしているうちに、

世界がみるみる変貌してしまいました。

 

ツイッターで見かけた、「今こそ日記を」というのは、

ほんとうに、そうなんだろうな、と思いました。気がつくと、

何日も経っている。いったい、今日は何曜日なんだろう、と。

 

ぼくも、日記を書きたいな、と思いました。

もともとはてなダイアリーでも、「日記風記事」にこだわって、

経験したことを時系列で記述する、というのを、なるべく、

こころがけて記事を書いてきました。

 

けれども、今日、久しぶりにここに記事をあげるのは、

今日の日の記録を残すためではありません。

 

こないだ空犬さんのツイートに、

正気を保つには、好きなものにふれ続けるしかない

ということばがありました。ハッとした。正気を保つ、という部分に、

自分がいま、気をつけるべきことが含まれていると感じました。

 

 

油断すると、正気を失いかねない。

勤務先のあれこれも、そう。家庭内でのことも、そう。

いま、新型コロナウィルスに右往左往する世界でどう生きてゆくか。

 

好きなもの、といえば、ぼくにとっては、

本であり、本屋です。けれど、それだけで生きていけるかと問われれば、

もちろん、ノーです。正気を保つために、好きなものにふれる。

たとえば、あなたからのことばです。

 

今日は、仕事に出ず、家におります。

定期購読誌の手配やら、上司との連絡やら、

後ろめたさと闘いつつ、気がつくと、

ツイッターを眺めています。

 

今、何をするべきなのか。

こうして家にいて、いいのか。

何か、致命的なミスを犯してしまっていないか。

 

不安です。

 

ほら、正気を失っている。

 

あなたからのことばが、欲しかった。

そこでぼくは、小学校国語で教わった、

あの、がまくんとかえるくんの物語にならって、

尊敬するふたりの書店員にDMを送りました。

 

ふたりから、あたたかい返信がありました。

 

生き返った!

 

そうして数時間後、ぼくはふたたび、

うつろな目でツイッターを眺めているのです。

 

ぜんぜん、正気がたもてねぇ。

 

そこで、ツイッターだけじゃ物足りない。

あなたからのことばが欲しい、この悲鳴を、

あなたに贈ろう、とはてなブログにログインしたのです。

 

ぼくが、まず、こうして悲鳴をあげます。

あなたは、「だいじょうぶですか?」とぼくにことばをくれます。

ぼくの正気が戻ってきます。簡単でしょう?

 

明日、また、ぼくは本屋さんにゆきます。

今はまだ、本を売ることのできない本屋さんに。

(休業しているのです、ぼくの勤め先は)

 

そのことが原因でぼくがウィルスにやられたら、

という想定は、見ないふりをしています。正直、通勤しても

やられないんじゃないか、というなんの根拠もない思い込み

だけが頼りです。これから先もずっと、本屋さんにゆくために、

今は、明日は、しばらくは、本屋さんにゆかないことが必要、

なのかもしれない。でも、ハッキリしたことは分からない。

 

あぁ、また正気が失われつつある。

 

どうぞ、ぼくに話しかけてください。

なんでもけっこうです。

 

ぼくは、また正気を取り戻して、

本屋さんに足を運ぶでしょう。

本を読むでしょう。

 

あなたに手紙も書くでしょう。

 

どうぞ、からだにお気をつけて。

新緑の季節を、楽しみましょう。

 

 

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とり、本屋さんにゆく (@ttori810) | Twitter

https://twitter.com/sorainu1968/status/1249707349113110528?s=20