僕自身が読む、僕自身がレジをうつ


洗濯機の周りにある洗濯物の山。
よく見なくとも、いつもより多い。
旅行中の蓄積が、少しずつしか解消できてないから、
なんか、このまま永遠に増え続けるような錯覚。怖い。


28日の更新停止を前に、なんとか2018年の振り返りだけでも、
と思ってパソコンを立ち上げるも、準備運動のつもりの東京行きの記事だけで、
力尽きてしまって、家を出る。仕事だ、仕事だ。


読了。
友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』。


あとがきの誤記というか誤植がいくつもあって、
これまでは一つくらいしか気づかなかったから、
何か、本を書き終えるにあたって興奮した友田氏が慌てているように思えて、
「まずは君が落ち着け!」みたいな、微笑ましい気持ちになってしまった。


そんなツイートをしたあとに、ちょっと感動的というか、
はぁぁ、ってなるような、代わりに読めないことこそ希望だ、
みたいな記述に、胸をうたれた。まさに、希望だ。
いい映画を見終えたあとのような充実感。
いい本だった。いい読書だった。


その後、気を失うように眠って、
降りる駅のひとつ手前くらいで目が覚めたときに、
軽い曇天くらいのゆううつに囲まれていた。まぁ、
吹けば飛ぶくらいのゆううつなのではあるけれど、
『自殺会議』も読んで、棚卸しも終わって、
もう、僕は大丈夫だ、なんつって油断していたものだから、
ギョッとした。ほんとに、しまった!という気になったけど、
これは、単純に、疲れがたまっているだけで、「代わりに読む」とか、
面白い本を読んでいる間に忘れてしまっていただけで、だいじょうぶ、
まだ、先週の棚卸しの疲れが解消していないだけの、想定の範囲内の疲れ、
と、言い聞かせ、落ち着かせて、温かい飲み物を買ってから、出勤。


働いているうちに、気分はよくなっていた。
仕事がある、というのは、ほんとうに、ありがたいことだ。


購入。
呉明益、天野健太郎自転車泥棒』(文藝春秋
チョ・ナムジュ、斎藤真理子『82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)』(筑摩書房