旅立ちの気配

車中のとも。
原民喜夏の花・心願の国 (新潮文庫)』(新潮社)


読みかけだった「鎮魂歌」、読み切った。
すごかった。読みながら、手塚治虫の「火の鳥」なんかも浮かんできた。
星新一とかのSF感も、香っていた気がする。繰り返されることばのリズム。

天が彼を無用の人間として葬るなら、止むを得ないだろう。(p.259)


「永遠のみどり」を読んでいると、原が死を選んだ原因というか、
引き金が、生活苦にあったのかもしれない、という思いがわいてくる。
姪の弾くピアノ、枕頭に小さな熊や家鴨の玩具。こういった描写に、
「ではなぜ死を?」という疑問がすぐに浮かぶけれども、同時に、
死が近くにあるからこその、小さな命への視線なのかもしれない、
とも思う。例の、水ヲ下サイの「詩」も出てきた。


原さんが、生きてゆけなくなった感じが、ちょっとだけ、
分かったような気がした。少なくとも、これまで読んだ他の小説よりかはずっと、
「死の気配」のようなものが感じられた。だからどう、ということではないのだが、
「あぁ、原さん、死んでしまうんだな」という、諦めといったらいいのか、
読者としての僕に、妙な言い方だけれど、覚悟のようなものが芽生えた。


歯みがきしながら、長嶋有の「猛スピードで母は」の続き。
なんでだろう、小説を読んでいて、途中でやめられるときと、
やめられなくなって読まされてしまうとき、あるよね。


読了。
長嶋有猛スピードで母は (文春文庫)』(文藝春秋