とり、庭で森で千々に乱れる愛を叫ぶ

 

 

旅立つ妻子とともに近鉄奈良駅へ。

改札に入る前に3人分の傘を受け取り、

見送る。気をつけて、いってらっしゃい。

自分の傘をさし、3本の傘をぶらさげて帰宅。

洗濯物は、部屋干しだ。

 

 

夜の読書会へ向けて、いくつかの本を選んで鞄へ入れる。

「これは重たいから置いていこう」と思っていた本も、

当日テンションで、持っていくことにする。

そうして、意識のすきまで企んでいた、

途中下車してオザワ書店に行くことを、

決心する。ひとり芝居の台本も、

持っていくことにする。

 

 

気がつくと、昼食の時間がなくなっていた。

駅の売店で調理パンを買って、食べる。

前回ワールドエンズガーデンに行ったときも、

空腹を抱えて商店街をさまよった記憶が・・・。

 

 

車中のとも。

文藝 2019年秋季号』(河出書房新社

 

 

斉藤真理子と鴻巣友季子の対談「世界文学のなかの隣人」を読む。

 面白い。北朝鮮の存在があるから、南の文学は「何を目指すべきか」

という思想性、政治性が常に問われる、という斉藤のことばに、

環境が個々の文学に与える「傾向」というものがあることを、

思い知らされる。それはつまり、個々人の「意識」を、

左右する、ということである。

 

 

鴻巣 『私』が繁殖して『私たち』になっていく。こういう連帯感は必要なんだけど、同時に『私たち』という大きな主語で語ってしまうことの怖さもあります。(p.61)

 

 

『文藝』は、かなり厚くて、今日に限らず何度も鞄に入れるのを諦めたのだった。

読書会のおかげで、読むに至った。嬉しい。買うにも、読むにも、訪れるのにも、

きっかけって重要なんですなぁ。1003にも、ありがとう。

 

 

続いて、チョ・ナムジュの「家出」を読む。キム・ジヨンと同じ作者。

可笑しいところも次々と出てきて、面白い。「キム・ジヨン」とはまた、

違った面白さ。訳もいい。乗り換えるとき、『文藝』を手にしたまま、

歩く。次の電車に乗りこむ。手の中の厚みを頼もしく思う。

 

 

大阪で、山陽本線新快速に乗換え。

西加奈子の「韓国人の女の子」を読みだす。

すごい。面白い。面白いばっかり言っている。

芦屋で各駅停車に乗換え。もう雨は上がっている。

ぼくは長靴をはいている。西加奈子は読み終えた。

 

 

押しかけオーディション、ということばを思いつく。

先日、小沢さんと飲んだときに、ワールドエンズさんでひとり芝居を、

という話が出たのだったが、妻には「おあいそでしょ」といった反応をもらい、

確かに一度も観てもらっていない段階でお願いするのは図々しかった、

と、反省したのだ。そうして、今日、久しぶりにお店を訪ねて、

あわよくば店内で台本を朗読してみたい、と企んだのだった。

 

 

 

 駅の北側に出る。うっすらとした記憶。駅前のひろばのようなところに、

地図があった。見れば、三ノ宮、元町もすぐそこではないか。そうか、

こんなに近いところに世界の終わりがあったのか。もっと大阪寄りかと。

かすんでしまった記憶を頼りに歩き出す。確か、高架のそばだった、

とウロウロしていると、思いがけず、看板を見つけてしまった。

 

 

古本屋

ワールドエンズ・ガーデン

スグソコ

 

 

どしゃ降りで閑散とした店内を想像していたが、

晴れてきたなー、おとなしく棚を拝見しようか、

と傘を入り口のところに置いて店内へ入ろうとすると、

むむ、人がいっぱいで、入りにくい。引き返して、

窓から店内をのぞけば、ちょっと、そうとう、

いるよ、オーケー、オーケー。そのまま、

高架下の壁のほうに突っ立って、

外観を眺める。

 

 

カラスが地面に落ちたセミかなにかをくわえて、

電柱の上へと飛び去っていった。

 

 

店から、お客さんがいっぺんに出てきた。

御一行様なのか。7人もいる!それでは、と、

再び、入り口へ。小沢さん、こんちは、来ました。

全員お客さんがいなくなったかと思ったら、なんとなんと、

まだ何人か、お客さんがいた。オーディションの申し込みを済ませて、

久しぶりの、ディナーテーブルから順番に本を見てゆく。

わー、楽しい。世界の終わりの本棚探索。

 

 

お客さんが途切れず、もう、このまま本を買って元町へ向かうかな、

と思ったころ、ふっとお客さんが全員、いなくなる時間が生じて、

台本を手に、「令和41年の読書の害について」を演じる。

窓の外を通りがかった労働者風の男性が、

「がんばれよ!」と声をかけていった。

 

終盤に、おひとり、来店されたお客さん、棚を眺めながらずっと居てくださった。

いったい、なにごとかと思っただろうか、お騒がせしました。ぼくが帰ってからも、

そのお客さんはまだ、本棚をじっくり、検分してござった。

 

 

購入。古本屋ワールドエンズ・ガーデン。

田村公人『都市の舞台俳優たち:アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって (リベラ・シリーズ11)』(ハーベスト社)

 

 

ワールドエンズさんでの上演について、いくつかの妄想をオザワさんに託して、

ふわふわした気持ちで灘駅へと戻る。JRで、元町へは、あっという間に着いた。

頭で思い描いていたよりかは遅くなってしまったが、とにかく1003へ向かう。

店内には、お客さんがおひとり。ちおさんに目で挨拶して、入り口を入って右へ。

 

 

書肆侃侃房の、旅の本のフェアがやっていた。かんかんぼう、

短歌の本だけじゃなかったのか。こんなにいっぱい、旅の本が。

ちおさんに、花森書林さんの位置を教えてもらう。神戸の、

古本屋マップにていねいに路地を描き加えてくれる。

ガラケー民には、ほんとうにありがたい地図。

「こっちもぜひ」と、近くの古本屋さんも。

 

 

 

 

購入。1003。

大西寿男、大場綾『かえるの校正入門』(かえるプレス)

 

 

途中、コンビニでサンドイッチを購入、歩きながら、

空腹をなだめて、マップを見ながら路地を探す。

ぽっかりと、異世界への入り口が開いているように、

花森さんの店の中は、明るく輝いていた。

 

 

レジに立つ女性への挨拶もそこそこに、

岩波少年文庫の群れに襟首をつかまれる。

高橋健二訳のケストナーは、ない。ないけれども、

頼もしいカラフルな背表紙の並びよ!

 

 

そして、本と共に棚に並んでいる雑貨の数々。

そうだった、そうだった!トンカさんは、そうだった!

この、狂おしく愛らしい雑貨の行進に、なんだか、

ニヤニヤと、わくわくとしてくるのが、楽しかったのだ。

 

 

文庫、新書、マンガ、あまり見ないような本もたくさんあって、

雑貨に心をこづかれながらも、しっかりと古本魂も刺激されて、

はー、楽しいな、楽しいな、と思いながら、ふいに、心臓が止まる。

ギョッとする一冊を棚に見つけた。今江祥智、『モンタンの微苦笑』とな。

 

 

これはー、これはー。

いつだったか、「今江祥智がエッセイで書いてたモンタンの本、

出版されなかったんかいな」とネットで検索したら、私家版で、

限定販売されたのを知って、欲しいな、絶対見つからんな、

と諦めながら憧れていた一冊ではないか。

 

 

善行さんにも、メールで問い合わせしたこともあった。

沖縄の古書店で通信販売して入手、というブログも読んだ。

 

 

あー、まさか、花森さんで出会えるとは。

他の人に買われるはずもないが、棚に戻すのも恐ろしく、

抱えて、店内をまわる。けれど、もう、気もそぞろで、

この本を買える喜びをかみしめるためだけに、

背表紙をたどっているようなものだった。

 

 

さぁ、レジに行こう、と思いながらふと、最初に見た、

岩波少年文庫の棚にもう一度目をやると、さっきは気づかなかった、

ケストナーの本があった。ふたりのロッテ高橋健二訳。あぁ、

これは、カバーなしの時代のやつか。トリヤーの絵がかわいい。

 

 

購入。花森書林。

今江祥智『モンタンの微苦笑』(私家版)

エーリッヒ・ケストナー高橋健二ふたりのロッテ』(岩波少年文庫

 

 

レジにいたのは、トンカさんだった。トンカさんにお会いするのは、

3度目くらいか。「トンカさんにも、2度ほどお邪魔したんですよ」とご挨拶。

「モンタンの微苦笑」と出会えた驚愕と歓喜については話し忘れた。

また遊びにきたいな。いいお店だな。人柄だな。

 

 

少し濃くなった夕暮れの路地に再び。こんどは、古本荒野。

どんな荒々しい棚が待っているのか、と恐れながら階段を上る。

重そうなドアに若干ひるむ気持ちも芽生えたが、なぜだか、

『あたしゃ、ライオン堂のあの扉すら開けた男なのだぞ』と、

妙な「自信」に助けられて、店内へ。あら、いい匂い。

これは、新しい木の匂い?こんにちは、と声で挨拶。

店主は、棚の影のほうにひっこんだ帳場にいるらしい。

これはなんというか、気楽に棚を見ることができる設計。

著者の名前順、均一は均一で棚を変えて、という配置。

一冊ずつ、背表紙をたどっていく。楽しい、楽しい。

 

 

イベントの時間も迫っていて、思いがけず、散財したあとで鞄も重く、

なんとか1冊、文庫をレジへ持って行って、今日はご挨拶まで。

 

 

購入。古本荒野。

椎名誠銀座のカラス〈上〉 (新潮文庫)』(新潮社)

 

 

はてさて、すっかりギリギリになってしまった、と、

来た道とは違う路地を小走りで1003へ戻る。

受付はさっき済ませていた。保留にしていたドリンク、

アイスコーヒーに決めて走ってきたのだった。

 

 

ノートを取り出してすぐ、時間となり、飲み物の準備をするちおさんをそのままに、

司会のアリヨシさんが穏やかに話し始めた。

 

 

それから3時間ほど、濃厚な時間が流れた。

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』を読む会

 

日時:2019年7月27日(土) 19:00-21:00

場所:1003店内(神戸市中央区元町通3-3-2 IMAGAWA BLDG.2F)

参加費:500円+1ドリンクオーダー要 

持ち物:『82年生まれ、キム・ジヨン

当日、①『82年生まれ、キム・ジヨン』の中で印象に残った一節、
②この本の次にすすめたい1冊 を教えてください。

 

 

すすめられた本たち。

若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞』(河出書房新社

イ・ミンギョン、すんみ 、小山内園子 『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)

鴻上尚史「空気」を読んでも従わない: 生き苦しさからラクになる (岩波ジュニア新書)』(岩波書店

ブレイディみかこぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)

川上未映子夏物語』(文藝春秋

レイチェル・ギーザ、冨田直子『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(DU BOOKS)

 

 

鞄に本はいろいろ入っていたが、読書会の濃密な体験が、

脳みそだか、心だかを圧倒していて、それでも何か読まずにいられず、

それははっきりと「逃避」なのかもしれないけれど、その、

逃げ出したい気持ちに応えてくれるのはこれしかなかった。

 

 

車中のとも。

椎名誠銀座のカラス〈上〉 (新潮文庫)』(新潮社)

 

 

下も買って来ればよかったかな。

 

 

いろいろと「やり過ごした」意見たちの中で、ぐっさりと刺さったことばは、

小さい子(1歳か2歳くらいか)の面倒を見るために、

女性は早めに帰宅することが期待されている、というやつだった。

 

 

バッサリ、失血死。

 

 

知らず知らず人を傷つけていることがある、という、

小学校に通知表に書かれたことばを思い出す。

 

 

不用意なリツイートで、傷つけてしまった人たちが、

少なからずいるのだろう。ごめんなさい。

 

 

7月6日配信の読書日記2通目を読む。

フヅクエラジオでおたよりが読まれていた。

 

演じると信じるの、あいだ。

ずこうことばでかんがえる

  

妻子のお笑い番組動画試聴で目覚める。

このヒトたちはあたしが今日、本番なことを知らないのか。

本当は、あと30分くらい眠っていたかったのだが、

目をつぶったまま、お笑い芸人の声を聞いていた。

 

 

コンタクトを装着したり、着替えたり、

それなりにてきぱきと準備を進めるも、

いざ、家を出る段になって、いろいろメモした裏紙を見失い、

結局、それを見つけてから出発すると、8時の特急にギリギリだ。

 

 

いちおう、駅の売店でサンドイッチは買い求めて、

指定席へと腰をおろす。今日は、ウララトートではなく、

いつも仕事に行くときの肩掛け鞄と、リュックサックだった。

だからというわけでもないが、宇田さんへメールする気持ちもわかず、

ふと、今日の昼飯はどんなものを食べることになるのかが気になった。

 

 

ガラケーにてGめるの受信フォルダをまさぐれば、

フヅクエさんからの読書日記が届いている。読まない。

そして、大好きなセンパイからの励ましのメールをもう一度読む。

「寂寥感も楽しんで!」とある。演劇を知っているひとからのエールは、

やはり、絶妙なところを刺激してくれる。あいあーい、と微笑む。

 

 

9時過ぎ、島本駅で降りて、いつもの駅前の公園で少しばかり、

台詞をのどに通しておこうかと思いきや、ボーイスカウトやら、

老人たちの何かツアーのような行列が見えて、一瞬で、今日は、

公園リハーサルができないことを悟った。車中でようやく書き上げた、

来場者へのごあいさつをローソンでコピーする。はしっこが、いろいろと、

試しても試しても欠けてしまって、だいぶん、小銭を失った。

 

 

今回、特別に稽古を重ねることができたわけではないのだが、

 去年や一昨年と違って、台本を再現することへの不安がほとんどなかった。

それは、不思議な落ち着きであった。油断、というのとも違ったと思う。

信頼、というと、少し近いような気もする。店の前に、稔さんを見つけた。

手をあげて、あいさつをした。おはようございます!

 

 

店長さんにもご挨拶。そして、ガチャガチャのきかいをごろごろと、

外に出すのを手伝った。「どうぞ、とりさんも準備してくださいね」と言われて、

さらばと店内に足を踏み入れた。すぐに、大好きな匂いが鼻から吸い込まれてきた。

なんという、幸福感。リュックサックをおろし、床に座りこみ、持ってきた、

あれこれを散らかしながら、気持ちを整えてゆく。

 

 

今回、3つほどの「演目」のかたまりを用意してきたのだが、

きちんとした台本として構成したのは3つ目だけで、1つ目は、

一応、流れはセリフに起こしてみたものの、できれば、

目の前にいるお客さんと、長谷川書店の空気と、

交感しながら組み立ててみたかった。

 

 

2つ目は、まったくの、出たとこ勝負だった。

 

 

そういうわけで、主に1つ目の「遊び」を楽しむための準備を、

持ってきた画用紙やらハーモニカやらネズミの人形を触りながら、

店内に、脳内に、はりめぐらせようと試みた。開店前の時間も、

3回めにして一番、ゆったり落ち着いて過ごせたようだった。

 

 

稔さんは稔さんで、店の外で呼び込みのぼりの書道をしてくれたりして、

ときどき、マスキングテープやはさみを借りるときにことばを交わす。

その、お互い、それぞれがするべきことをすすめていく感じが、

心地よかった。そして、10時過ぎ頃、予告されていた、

ときわ書房志津ステーションビル店*1の、日野店長の魂が届いた。

まさか、有形の、それも黄金に輝く魂が届くとは思っていなかったので、

「泣きたい!」と強く思った。涙は、しかし全くこみ上げてこなかった。

 

 

体の奥底から、喜びがわいてきた。そして、日野さんのあたたかさ、

優しさ、ありがたさなど、いろいろと頬いっぱいに、笑みとして、

顔面がはちきれそうなくらいに、浮かんできた。あざす!!!

もう今日は、これで帰ってもいいです。でも、帰らずに、

いただいた黄金の電報を稔さんに入り口に飾ってもらう。

 

 

11時前から、本を買いにきたお客さんが、稔さんや店長に、

いろいろと問い合わせしてくる声が聞こえてきた。そうそう、

この感じ。これこそが、「営業中の本屋さんで演劇をする」醍醐味だ。

そこに現われる人たちは、観客である人もいれば、本を買いに来ただけの人もいる。

この、路上感。本屋が路上であることを、こんな風に回りくどく、

演じながら味わい直すしかないのが、僕の心の貧しさなのか。

 

 

「本日のひとり芝居は中止となりました」と書いたホワイトボードや、

ネズミの人形などを児童書コーナーにセットして、自分は、

学習参考書や健康書の棚の前にある、座面のスポンジがはみ出た、

古い椅子に腰かけて、ハーモニカをふき始める。ど、み、そー。

 

 

てきとーに吹いてみれば、それは、さいたさいたチューリップ、

おもいのほか呼吸は苦しく、それでも、どみそを繰り返す。

少しずつ探りながら、けれど、先の方でどうにも、

思っている音が見つからなくって、それはそれで、

楽しく、自分のへたっぴな音を楽しみながら、

勝手に借りてきた娘のサングラス越しに、

店内を歩く人影が観客のそれかどうかをうかがう。

思いついて、チューリップのわからない音のつづきを、

「教えてください」と書いた紙を座っていた椅子に乗せておく。

 

 

おまもりに持ってきた、きだにやすのり『ずこうことばでかんがえる』を、

置いておいた椅子から手に取り、ひとつ、読む。にっこりしてみる。

「中止になりました」ホワイトボードを、児童書コーナーから、

コミック棚、海外文学棚、文庫棚を経由して、さっきの椅子へ、

移動させる。ことばあそび「あんじるあいうえお」を、舌で転がして、

なんとなく、開演することに、する。いんじる、うんじる、演じる!

 

 

ときどきベルを鳴らしながら、演じると信じるのあいだを、

行ったり来たり、言ったり見たりしながら、さっさと、

まぼろしの血しぶきをあげて、1つ目を終わりにする。

ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら、2つ目は、店の外へ。

やや、あっけにとられている風の皆さんを置いて、店の外へ。

 

 

やぁ、はせしょの外の、小学館の回転什器、今日もよろしく!

行き交う人や、黄金の魂に勇気をもらいながら、まさかの、

太陽戦隊サンバルカンのテーマを熱唱するという着地。

おまわりさんが来る前に、店内に戻りましょう、

そうしましょう。口紅をぬぐって、さて、

3つ目の、令和41年のお話を。

 

 

終演後、恒例の、はがき押しつけ行為。

少年少女に渡すことに成功、これは楽しみだ。

時間がなくって、2枚しか作ってきておらず、

他の方にお渡しできなかったのが、無念。

 

 

今回は、お客さんが加わることはなく、

稔さんと、ふたりで昼食。11時の回を振り返りつつ、

正直、どんな話をしたのだったか。創作ノートを見てもらったのは、

覚えている。あとは、ぼくが拾えきれていなかった、

お客さんの様子を教わったりしていたのだったか。

 

 

はせしょに戻ると、思いがけず、3時の回までだいぶ時間があった。

稔さんは、「本屋のしごと」を始めた。ぼくは、「本屋のお客」を始めた。

黒川創鶴見俊輔伝』(新潮社)があった。

鶴見俊輔言い残しておくこと』(作品社)もあった。

児島宏子『チェーホフさん、ごめんなさい!』(未知谷)も気になる。

午前中に仕掛けた自分の罠に自ら首をさしだして、詩を書いてみたりもした。

詩の本と、海外文学の本がある棚を上から下まで眺めながら、

この幸福感の、儚さを思って悶絶した。

 

 

店を出て、バスロータリーの方からはせしょの外観を眺めたり、

ローソンではがきを買い足して、押しつけ用はがきを書いたりして、

気がつけば、もう3時がやってきていた。店内に、お客さんがいっぱいだ。

先ほどの椅子に置いた紙には、チューリップの音階が書き足されていた。

その通りに吹いてみると、なるほど、へたっぴなハーモニカでも、

チューリップのうたが演奏できたような気分になった。やった。

 

 

嬉しくて、また椅子に座ってチューリップを吹いたり、

健康書のタイトルを音読したりしていると、稔さんが、

「ちょっとごめん」と言って、お客さんを案内してきた。

何人か、見知った顔が見えた。おぉ、あの人も、この人も。

 

 

店内は、混みあっていて、児童書コーナーには座りこんで、

熱心に本を読んでいる少年の姿があった。ホワイトボードを移動し、

戻ってきても、少年はずっと読んでいて、はっきり言って、

ひとり芝居なんてやってはならない状況であった。

 

 

ぼくは、その状況を密かに楽しみ、なんとか、この少年が本を読み続けたままで、

1つ目を始めて、終わらせてやれないものか、と思った。あんじるあいうえおは、

だから、確か、占い本の前あたりで、ぶつぶつとつぶやくように始まった。

アシタアサッテのくだりでは、向かうべき立ち位置にお客さんが来て、

ぼくは、少しだけずれたところに立ち直すことになった。そういう、

立てる場所が限定されていることがとても心地よく、3時の回で、

ぼくは少しずつ、確実に調子に乗っていった。午前中に、

のどをつぶしていたのも作用していたのかもしれない。

さっき作ったばかりの「詩」さえ読みあげてしまった。

あとで振り返ってみれば、ちょっと嫌な感じすら覚えるほど、

由来不明の、ふてぶてしいしゃべり方で11時の回との違いを強調し、

店の外で、11時の回の幻影に翻弄され、酸欠になり、ふらふらと、

店内に戻って、センパイに予言されていた「寂寥感」に取りつかれてしまった。

 

 

なんということだろう、ひとり芝居と関係のない、

世間話のようなものが口をついて出てくるばかりで、

いっこうに、3つ目をやろうという気にならないのであった。

ただただ、終わってしまうのを惜しんでいる、みっともない時間であった。

えいや、っと始めてすぐに台詞を見失って、やり直しするほどにも、

粘度の高い未練であった。

 

 

終演後、来てくれた友人と、話をした。

何を話しても、空回りをしているようで、苦しく、

けれど、目の前にいる人と自分とのあいだになにか、

つながりをとどめておきたくてことばをついでしまった。

それもまた、未練であった。ひとり、またひとりと、

お客さんは帰ってゆき、皮膚のあちらこちらに、

「取り残されたような感覚」が浮き上がった。

 

 

けれどそこでまたひとつ、

嬉しいこともあった。

 

 

ひとりのご婦人に、料理の雑誌のようなもののありかを訊ねられたのだ。

「えーっと、こっちのほうですかね」と言って先を歩きながら、

耳のまわりで稔さんや岡ちゃんの様子をさぐる。

近くにいないようだ。おそらくは、ぼくを、

店の人だと思ってくれているだろうご婦人の、

返答を聞きながら何を探しているのかを、さぐる。

たまねぎのふろく、月刊誌。あれやこれや言いながら、

ようやく、これだろうという雑誌にたどり着いて、その人は、

レジへと向かってくれたようだった。ぼくの左胸には、バッジが、

「いわた」と「チャンポンズ」のふたつのバッジがついたままだった。

 

 

きちんと挨拶できた人もいれば、いつの間にか、

帰ってしまった人もいた。ひとつひとつ、道具を集めながら、

いくつかのきれはしを、稔さんに託したりもした。帰り支度がととのってから、

今日、連れて帰る本を選び始めた。1冊、もう1冊。例の、3冊病のせいで、

あと1冊を求めてしまってからが、長かった。いつもは見ない、コミックも、

かなりじっくりと見てしまった。結局、2冊、レジの岡ちゃんに差しだした。

 

 

その後、ふいに子どもたちにおみやげを買いたくなって、もう1冊?、

買った。それならば妻にも買わねばならぬ、と、コーヒー豆も買った。

 

 

購入。長谷川書店水無瀬駅前店。

黒川創鶴見俊輔伝』(新潮社)

 斉藤倫、高野文子ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集 (福音館創作童話シリーズ)』(福音館書店

馬場のぼる11ぴきのねこ すごろく ([すごろく])』(こぐま社)

 

 

打ち上げは、隣りのカレー屋さんだった。

しみるほどに美味いカレーだった。ビールも美味かった。

岡ちゃんと、おくむらさんと、いろいろと言ってもらって、

ぼくもあれこれと言いながら、稔さんの顔色をうかがっているようだった。

 

 

雨が降りだしていた。

ここでいいです、というようなことを言っても、

みんな、島本駅まで送ってくれた。

電車が来た。来てしまった。

信じるも演じるもなく、

ただ運ばれていった。

 

 

 

ご来場、ご声援いただいた皆さま、ほんとうにありがとうございました。

電報、差し入れ、リツイート、「梅雨入りはまだよ」の掛け声も、

ほんとうに嬉しかったです。ありがとうございました。

 

 

長谷川書店のみなさん、水無瀬のみなさん、

ありがとうございました。

 

 

またいつか、本屋さんでお目にかかりましょう。

 

 

「演じると信じるの、あいだ とり、またまたはせしょでひとり芝居」
日時:2019年6月23日(日)11時、15時
場所:長谷川書店水無瀬駅前店(大阪府三島郡島本町水無瀬1-708-8)
料金:無料