本のみぎわをみきわめて

今日は、子どもらを保育園に送って、

正確には、下の子を保育園に、上の子は、

保育園に付属、っていうのかしらん、学童的な仕組みの、

預かってくれる施設、まぁ、建築物としては、同じ、

そこへ、送っていって、帰宅して、なんと、

二度寝かましてしまった。

 

 

洗濯物を干していないことが、強烈に迫ってきて、

ようやく、起きねばならぬ、と、意識を取り戻したが、

もし、洗濯物がなければ、あるいは、先に干してから二度寝してたら、

仕事をサボってしまっていたかもしれない。いや、さすがにそれはないか。

 

 

昨日、大学の先輩から、出産の報告があり、

どんなお祝いを贈ろうか、ということを考えながら、

駅まで歩いた。出産祝いについて考えるのは初めてではないが、

毎度、毎度、久しぶりな感じで、一から、ゼロから考える、

いや、さすがにゼロではないか、久しぶり、という意識はあるから、

一から考える、毎度、一から考えるので、なんか、もどかしい、

なんというか、もっと出産祝いを贈る経験値をためて、

レベルアップした状態にありたい、とか思う。

 

 

吉田戦車の『まんが親』全巻を旦那に贈る、っていうの、どうかな、

とか、男の子産まれたのに『なずな』は、ちょっとずれてるか、

とか、いっそ、商品券はどうだ、現金がいいって人もいるし、

とか、考えながら駅まで出て、パン屋でコーヒーとパン。

文房具屋で、ミニノートと、替え芯。そして電車。

 

 

車中のとも。

田尻久子『みぎわに立って』(里山社)

 

 

何日か、かばんに入ったまま開けていなかったこれを、

ついに、読みだした。まえがきのようなもの。

行わけの、ゆっくりとした、文章を飲み、

目次の、星だろうか、記号に、

意表をつかれた。

 

 

そうして、「かけら」という題のつけられた文章へ、

おや、さっきの星の記号は、そうか、ひとつひとつの文章には、

目次でページを示すことなく、いくつかの文章の塊として、

「章」として、星の数で示したのか、そうかそうか、

そういう「構造」にしたのか、ということを、

一瞬で頭の中に走らせ、そうして冒頭の、

「十五年を過ごした場所から離れ」という、ところに、

あれ、さっき、と、はじめに、のような行わけの、

飲んだばかりのおいしい文章の味を思い出し、

飲み物と違って読み物は、ページをくれば、

また読める、「店を営みはじめて十七年が経ちます」とある、

すると、この文章を書いた時点で、ほとんど田尻さんのお店の「歴史」は、

地震の前、お引越しの前、つまり、そういうのを全部、「喪って」、

新しく、また、「始まったばかり」の、そういう状況、

そっかー、と、これまた一瞬、頭をかすめて、

またページをくって、「かけら」を読んだ。

 

 

人は、どんなちいさな痕跡からも記憶をひろう。(p.7)

 

 

「汀に立つ」を読んだ。これが、表題作なのかしら。

本のタイトルは「みぎわに立って」だが、

石牟礼道子の小説について書いてあるこの文章は「汀に立つ」だ。

 

 

柔らかな装丁に似合ったひらがなのタイトルと違って、

漢字を使い、「立つ」と言い切った題に導かれて読んだ文章は、

甘くはなかった。襟を正した。*1

 

 

購入。

鹿子裕文 『へろへろ (ちくま文庫)』(筑摩書房

石ノ森章太郎漫画超進化論 (河出文庫 い 42-1)』(河出書房新社

片岡義男豆大福と珈琲 (朝日文庫)』(朝日新聞出版)

 

 

『へろへろ』は、こないだ、母の誕生日に送った段ボールに、

未読のまま、忍ばせてしまったので、もう一度、買った。

箱に入れる前に始めのほうを読んだら、とても面白かった。

 

 

泣ける本、というのはなんか、あまり良くない風に言われがちで、

がちってこともないか、「泣けます!」みたいなうたい文句が、

ダサい感じで、でも、本を読んで泣けてしまうことは、

けっこう、好きで、でも泣ける本、っていう言い方は好きでなく、

それはそうなのだが、今、言いたいのは、泣ける本、というか、

本を読んで泣けてしまうのもいいけど、笑けてしまうのも、

とってもいいぞ、ということで、でもやっぱり、

「笑える本」って言っちゃうと、ダメな感じするな。

 

 

帰りの電車、ガラケーをいじりつつ、

席が空いて、座ったタイミングで、本を取り出す。

「海の青」そして「古本屋さん」と続く。

古本屋さんで焦る感じ、わかる気がする。

 

 

帰宅して、岩崎さんの載っているAERAを読み返した。

自分は、人生をおりたたんで生きてしまっている気がして、

いかんいかん、と思う。でも、やっぱり元気をもらって、

読み返してよかった、と思った。「この記事を、

お守りとして、ときどき読み返そう」と、

以前に思ったことを、忘れずに、

サボらずに、ときどき読み返したほうが、いい。

なんというか、元気づけられるのもあるし、時には、

叱咤激励というか、甘ったれた気分をシャキッとしてもらえる。

 

 

本を読んでいるときもいいけど、

読み終えたり、ふとページから目をあげたりして、

何か、その受け取った文章や印象について考えているときも、

なんか、幸福な時間だと思います。

 

 

本のみぎわ。

 

 

買った本の報告、とかも。

試運転。

 

ここ数日の買った本の報告とか。

 

スタンダードブックストア@心斎橋にて。

荒川洋治文学の門』(みすず書房

ジュンク堂書店難波店にて。

安東量子『海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて』(みすず書房

 

あと、さっき、柘榴の國で、『俺の井上陽水』の文庫版を買った。

これ、新書版を昔買って、読んでないまま、実家にある。

文庫も出ていたのか。これを買った理由は、「俺の長谷川書店」みたいに、

自分の好きなものを代入するとなにがしか、自分の表出に益することが、

あるのかもしれないという、そういう打算的なお買い物。

 

と、いうわけで、はてなブログ、ちくしょうめ、

ダイアリー終わっちゃったから、仕方なく、はてなブログ

買った本の報告とかもしないと、俺が痩せちゃう、消滅しちゃう、

からと、ぼちぼち、スタイルもなんもなく、手探りで、

また、ネットの世界に言葉を巻き散らす、いずれ、

失われるかもしれないと覚悟の上の、あだ花、

ピエールには何の思い入れもないけれども、

まぁ、そういうことで、リアルを大事に、

からだを大事に、演劇も大事に、本を大事に、

子どもよりも親を大事にと言ったのは、なにがしかの麻薬を摂取していた、

そういう物書きの日本人男性だったか、坂口安吾の、天皇についてのなんか、

安い本を、欲しい、あれ、難波ジュンクにはあると思ったのになかった、

はい、では、また、よろしく。

 

皆さん、僕にどんどん話しかけてくださいね。